1125.満月と三日月2

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

〜昨日からの続き〜

【満月のアプローチ】

この講話では、うつ病と診断された方を、うつ病と見るのではなく、何も病などない完全な存在として見るということなのです。

ここのところが、あまりにも逆転発想的であり、大変奇抜なアプローチに感じると同時に、とてもシンプルなところが、分かるようで、分からないといわれる部分かも知れません。

特に、理屈でも理解できていて、確かに自分の深いところでも実感があるにも関わらず、目の前にうつ病で苦しんでいる人が現れると、どうしてもその状態に目がいき、病を認めてしまう方向へと流されてしまいがちです。

病を見て、何とか治してあげたいと思ってしまうのです。

私は、こういう状態の人を目の前にしたとき、うつ病を一切相手にしません。

三日月を、相手にしないのです。

ないものは、ないから、相手にしようがない。

相手にしないというのは、本人が「うつ病なんです」と言われた場合に、「あなたはうつ病ではありませんよ」と直接伝えるという意味ではありません。

相手の状況や状態に応じて、「そうですか、うつ病と診断されたんですね。」「何かきっかけになることなど、心あたりありますか?」と返していく場合もあれば、

「ああ、なるほど、そういうふうに思ってらっしゃるんですね」など、様々な返しをします。

つまり、相手が思うことや考え、言葉に出す内容などについて、言葉や心のオウム返しをごく普通に行ないます。

相手は、否定されたり、言い合いにならないので、安心して言いたいことを言える環境が整うのです。

相手は、「自分のことをわかってもらえた」と感じられるのです。

しかし、このスタート時点から、一貫して、たとえ相手が何を言っても、どんなに悪態をついても、どんな状態であっても、言葉のオウム返し、心のオウム返しをしつつも、

一切振り回されることはなく、常に相手の完全、完璧な生命(いのち)の源しか、見ていないのです。

まさに、満月しか見ていないということです。

もっと正確に表現するならば、「満月にしか見えない」わけです。