佐藤先生の言葉をお伝えします。著者幸せな結婚の法則より
本日は、久保田拓さん(仮名)・理沙さん(仮名)ご夫妻の体験談をご紹介いたします。
北海道出身の理沙さんは、7人兄弟の長女として父親に厳しくしつけられて育ちました。
「父の厳しさは尋常ではありませんでした。
真冬の屋外で雪の中に顔を突っ込まれ、息もできずにもがいたことがあります。
父なりに手加減したとは思いますが、子どもの私には死ぬほど怖い体験で深い心の傷になりました。
実業家として成功していた父は、自分流の子育てをしていたらしいのですが、私は父の愛情を感じませんでした。
いつも父の言いなりで、私を助けてくれなかった母のことは、好きでしたが心のどこかで恨んでいました。
両親を見ていると結婚に夢など持てなかったのです」
真我と出会うまでは、親から虐待されて育ったと思い込んでいた理沙さん。
地元の教育大学を卒業後は小学校の教師となり、一人暮らしをはじめましたが、社会に出てからも両親との溝は埋まらず、「実家へは二度と戻りたくない」と考えていたそうです。
「教員研修では“家族”をテーマに学ぶこともありましたが、自分の育った家庭が理想とはかけ離れていることを痛感させられました。
そして、何か嫌なことがあると“親のせいだ”と考えるクセがついてしまったのです。
教え子たちの親子関係をうらやましく思うこともあり、自分の中のコンプレックスはますます大きくなっていきました。
教え子の前では“両親に感謝しようね”と言いながら私は親に感謝できていない。
いつも自分のなかに葛藤を抱えていたのです」
親を許すことができないという苦しみのなか、理沙さんはその問題を解決するためのセラピーやワークショップをいろいろと受けるようになりました。
しかし、どれも対症療法的で根本解決にはならなかったのです。
そして、半ばあきらめかけたときに出会ったのが“真我”というキーワードでした。
「インターネットで“真我”という言葉を知って、これだ!というひらめきが起こり、すぐに佐藤さんのセミナーを申し込みました。
死ぬまでに親を許せたらいい……と考えていましたが、真我を知った瞬間から、実は両親からちゃんと愛されていたことに気づき、両親への感謝の気持ちがどんどん湧きあがり、そんな自分に衝撃を受けました」
拓さんと理沙さんは、私のセミナーで出会いました。
初対面では会話を交わさなかった二人でしたが、のちに別の集まりで顔を合わせる機会があり、自然なかたちで交際に発展。
長野県と北海道という遠距離恋愛を実らせ、出会って1年後には結婚したのです。
いま振り返ると、お互いが惹かれあったのはほとんど同じタイミング、心の中の執着を手放したときだったそうです。
現在は、拓さんの故郷・長野県で専業主婦としての生活を送っている理沙さんですが、「目標とする夫婦は?」という問いに「自分の両親です」とすぐに答えてくれました。
「私の母は、これまでずっと父をサポートするために自分の人生をかけてきました。
真我と出会うまでの私は、母のことを“父の言いなりになる弱い人間”と思ってきましたが、大きな誤解でした。
男性と女性には、それぞれ違った役割があります。
私も母のように、夫を全力でサポートしたいと思っています。
教師を辞めたこともあり、仕事一途で歩んできたこれまでの人生とは180度違う人生になりそうです」
理沙さんは、あれほど嫌っていた父親との関係も良好になったと言います。
結婚式では、両親への感謝の手紙を読む場面では、感極まって父親をしっかり抱きしめたそうです。
拓さんも、最初の結婚で負ってしまった心の傷を、真我の目覚めによって財産に変えたいま、トラウマを乗り越えて幸せいっぱいの新婚生活を送っています。
「離婚後は広い部屋に一人で暮らしていたので、言いようのない孤独感を味わいました。
でも、妻と出会えたことで冷えきった体が少しずつ温まり、心臓に再び血が通い出したような感じです。
“あなたが死ぬときは、私が見送ってあげる”。
結婚を決めたのは、妻のこの一言でした。
愛と感謝の気持ちは日に日に深まっています」
拓さんは、毎朝目覚めてすぐに「大好きだよ」と理沙さんに告げるといいます。
伝えきれないほどの想いを、もっともシンプルな言葉に込めているのでしょう。
理沙さんも、夫のためにおいしい朝食を作ることが幸せだと言っています。