834.真我に訴える

佐藤康行の言葉をお伝えします。

繰り返しますが言葉には三種類あります。

頭に訴える言葉、心に訴える言葉、真我に訴える言葉の三種類です。

真我には真我で訴えるのです。

そうすると真我がこだまするはずです。

話す時でもものを書く時でも、真我でするのです。

真我ですると恐怖がないから、どんどん出てきます。

逆に恐怖があると止まってしまいます。

本当に相手に喜ばれる心ですると何でもできるのです。

マイナスの心ですると止まってしまいます。

プラスの心でするとどんどん出てくるのです。

真我ですると無敵なのです。

愛であるから無敵なのです。

釈迦が悟りを開いた時に矢で討っても当たりませんでした。

釈迦は悟りを開いて、非難や中傷などとは違う心になっているから当たらないのです。

つまり、的外れなのです。

何を言われても相手が勘違いしていれば、何とも思わないはずです。

心当たりがあるから、グサッとくるのです。

矢が飛んでこなくても一人で矢を刺している人もいます。

相手が暖かい愛の言葉で言っていても、それを矢に変えて刺してしまう人もいるのです。

我々の人間関係にはそういうこともあるのです。

我々は神一限であって、段階を通さないのです。

これが究極です。

何もかも神の創造なのです。

誰かを通さなくてもいいのです。

ただ、アンテナが低いから、アンテナの高い人がキャッチできる電波をキャッチできないだけです。

本当はアンテナを立てればいいのです。

究極を真我で実行したら、本当に奇跡が起こるはずです。

宗教を何十年もやっている人で見当違いの人は沢山います。

私が見た90%の人がそうです。

何人も、何らかのことで迷っています。

とにかくやってみましょう。

信じるということより、自覚するということの方が適切でしょう。

形ではないのです。

真我は光輝いているものです。

真我は永遠なのですから、あの世に行っても素晴らしいものなのです。

ですから、生きている時にそれを自覚することにより自由自在になれるのです。

これを解脱と言います。

何事にもこだわらない、何事にも縛られない、心は自由自在というのが解脱です。

引っ掛かりがないというか重しがないのです。

こんな研修は世界にはないのですから、シラケないで取り組んでほしいと思います。

シラケてしまった研修に来た意味がなくなってしまいます。

真剣に真面目に取り組んでほしい。

そして、それは決して特別なものではなく、日常生活に必ず役に立つものなのです。

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