833.咲き方は決まっている

佐藤康行の言葉をお伝えします。

“オギャー”と我々は一つの種から生まれました。

バラにはバラの種があります。

そうしたらこのバラはどう咲くかということは決まっています。

牡丹は牡丹でどう咲くかということは種の時点で決まっているのです。

バラは牡丹にも桜にもなりません。

しかし、人間だけは妄想するから、ついつい牡丹になろうとか桜になろうとか思ってしまう場合があるのです。

ですから、人間が一番病気をしやすいのはそういうことからなのです。

悩み、嫉妬し、いろいろなことで一番苦しむから、心のバランスが崩れ、肉体にまで及んでいくのです。

我々はこれから生きていくためにはそういうことも無視しないで勉強していかなければならないと思います。

また、尚且そういう時代に生きているのだということを私は現実に実感しているのです。

即ち、法則以外のことでやっていくと消えていかざるを得ないからです。

先程言った種は、天命により咲くようになっているのです。

これはご先祖様からの考え方、両親の思いが重なって、パッと生まれてきたものなのです。

ですから、それを別の色に咲かせるのではなく、自分の持っているそのものを最高に咲かせようとすることが大事なのです。

その人の個性、考え方、生き方が哲学となり、仕事や家庭において、こういう生き方をするのだという段階を逆さまから考えていく必要があるのです。

我々はどうしても今の自分の気持ちから、目標を立てようとしてしまいます。

そうではなくて種を理解して、そして、この種が最高に咲いた時はどのように咲くのだろうと原点に戻って考えていく必要があるのです。

そうすると明確により無理なく理解でき疲れないのです。

私自身、ステーキ屋のチェーンをやりながら、真我開発講座や真我教室などをやっているのは、このことが自分がやらざるを得ない自分の天命であると考えているからです。

難しい話をわかりやすく伝えることが私の使命であるということを痛感しているからです。

そして、他力(法則)をどのように理解していくか、このことを難しがってはいけないと思うのです。

難しがってしまったら生活化することはできないからです。

理解するのでさえ難しいのに、それを生活化することは非常に難しいことだからです。

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