写真は天丼です。えび天が特に美味しかったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【満月と三日月】
「満月と三日月」のたとえ話です。
それは─夜空に出ている月を見て、それが三日月だとしたら、月とは三日月なのだと思うわけです。
しかし、月は本来真んまるの球体で、三日月の形をした欠けた月など実際にはありませんね。
自分の目で見て自分の脳で捉えた部分だけで三日月だと思い込んでいる……それは実在ではない、そう見えているだけで月の仮の姿です。
その三日月に向かって「まんまる、まんまる、まんまる……」
そして「満月、満月、満月……」と満月としてずーっとブレずにやっていると、本来のまるい満月に見えてくる(後に満月になります)……
すなわち、対面している相手が「私は欠けているダメな人間です」と言って苦しんでいても、
それに対してあなたは、目の前の相手を満月=完全、完璧、何も欠けていないと対応していくと、本来完全で完璧で何一つ欠けていないその相手は、そのようによみがえっていくわけです。
これは、どんな人にも通用します。
どんな人にもです。
今の教育は往々にして学校の先生が子どもに「あなたはこんなに欠けているところがある。
あなたはこんなに問題がある」そして「だから、こうしなければあなたはダメ」と、ダメな子を欠けた三日月として、の欠けたところに何かを足すようにやっていると私には見えたからです。
しかし、子どもがどんなに三日月に……たとえ半月に見えても、もっと言うなら三日月さえ消えて月が見えなくなっても、その月は本来まるい満月なのです。
考えてみてください。
何か問題がある子どもでも、その子どもを満月として(という前提として)あなたは完全なんだ、素晴らしいんだ、問題はないんだ、満月だというように扱うのと、
あなたは問題だらけで欠けているから何かいろいろなもの……
いい教えや表にあるものを先生があなたに足してやってあげるから、あなたも同じように努力しなさいとやっていくのと、この前者と後者どちらがいいと思いますか?
あなたがその子どもならどちらで扱ってほしいですか?
受講生のみなさんなら前者ということがわかりますよね。
これは教育だけではありません。
医療やビジネス、会社経営もそのようにやっていったなら、どれだけ素晴らしい世の中になるか。
真我開発とはまさにそれなのです。