1779.言葉の鏡返し

真我日記

写真は豚肉とピーマン炒めです。ピーマンは母が畑で作ってくれたもの新鮮で美味しかったです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

相談者の言う事を、そのまま返していく「言葉の鏡返し」の実習場面で、
相談者役を行った研修生の感想シーンです。

研修生:
私が言いたかったことを返してくれて、泣けてきました。

佐藤先生:
不思議な気持ちでしょ? これが普通の会話の中でやれたらすごいでしょ?
みんな、いかに反対のことをやってるか。
だって、こんなに喜んでくれるんですよ。
で、何もそんなに考えなくていいでしょ?
だって、考えたら駄目なんですよ。考えた瞬間に自分になっちゃうから。
みんな考えてやるから、自分になっちゃうから、分かってくれないってなる。
それは、その人になっちゃうから。
そのまんま返したら、自分じゃないから。
その人だから、「分かってくれた」と思うんです。
こういうことなんです。

引き続き、佐藤先生のコメントです。

佐藤先生:
先ほど私が「相手のことを分かってあげよう。
相手の真我を分かってあげよう」ということを言いました。
でも、それを阻害するものは、「自分のことを分かってほしい」というものが阻害すると言いましたね。
だから、どっちかなんですね。
どっちかって、
ほとんどが自分のことを分かってほしいというもの同士がけんかをしたり。
戦いも全部そうです。
自分のことが分かってほしい。
社会のあらゆる争い事は全部そうです。
全部「自分のことを分かってほしい」という、その原点から来てます。
分かってあげようと、本当に100%思える人は無敵です。
だから、なかなか分かってあげようと思っても、分かってあげれないのは、
自分が分かってほしいという心があるから。

ちょうど皆さんが何か食べに行って、
ごちそうしてほしいと思いながら「ごちそうする」なんて言ってるのと同じです。
そういう感じ。
自分がおぼれてる。相手もおぼれてる。
自分のことを助けてほしいと思いながら、
「助ける」なんてやってて、お互いにおぼれるみたいなもんです。
だから、相手を助けたら、相手はもうおぼれてないから、
逆に助けてもらえるかもしれない。
そういうことです。
そこまであなたがなりきれるかどうかです。

ここからは、心のオウム返し、別名「心の鏡返し」についての解説シーンです。

佐藤先生:
ここでは、相手が言ってることをオウム返しする。
言ってることを、「今、こういうことをおっしゃったんですね」と。
その言ってることと、その言わんとしてる心があるじゃない。
その心もオウム返ししてあげたらいいね。

研修生:
その言わんとしてる心は、言葉としてはでてきてないですよね。

佐藤先生:
うん。出てない場合が多い。
例えば、「お寿司を食べたいんです」って言うでしょう。
「お寿司」にとらわれちゃうでしょう?
本当は「おなかすいてるんです」って言ってるんです。
だから、本当はお寿司じゃなくてもよかったかもしれない。
かつ丼でもよかったかもしれない。
だけど、お寿司にとらわれちゃって、「お寿司屋、この辺にない、ない」とかってね、
「この人、贅沢だな」といろんなことを思っちゃうわけ。
本当はおなかすいてるんです。
そういうことが分かってあげれるっていうことですね。

この佐藤先生の解説は、「心を返してあげるということ」について、
非常に分かりやすい例えで話されています。

まず、「相手が口にする言葉、言っていること」をそのまま相手に返す「言葉の鏡返し」
次は、その言葉の奥にある思い、心を相手に返していく「心の鏡返し」

明日からは、この「心の鏡返し」を見ていきます。