1311.人生に修行は本来必要ない

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

勉強の話と同じで、私たちはもうそろそろ「修業」もする必要はないのです。

長年、精神世界を探求してきた五十代のS・Yさんという女性は、修業はいらなかったんだ、ということに気づいた一人でした。

彼女はある宗教団体に属して熱心に修業を積んだり、他にもいろいろな団体や先生方を訪ね勉強をしてきました。

そして、修業をたくさん積まなければ、と思って努力してきました。

ところがいくら勉強しても、いくら教わったとおりに修業をしても、不安感はなくならず、結局、人に頼ったり甘えたりする心が出てしまうのでした。

やがて彼女は、精神世界を追い求めて私のもとにやってきたのです。

私の話は彼女にはとても新鮮だったようです。

いままで教わったのと百八十度くらい違ったようです。

そして、いままで一生懸命修業を積んできたけれども、そんなことをしなくてもよかったんだということに気がついたのでした。

まさに目からウロコがとれたような顔をしていました。

彼女はいまではグッと腹がすわり、どんなことが起こっても動揺しなくなったといいます。

それにとどまらず、何に対しても、感謝の気持ちが湧いて出てくるようになったといっています。

サッカーの三浦知良さんの若いときの話を、どこかで読んだことがあります。

「高校を中退して、ブラジルでサッカーをしていたとき、母親から送られてきた手紙のなかに『若いときは苦労は買ってでもしなさい』と書いてあったんですけど、『どこにも苦労なんて売ってないよ』と返信の手紙を出したことがあります」

彼は実際はブラジルでは人種差別を受けたり、チームの他の選手からパスをもらえなかったりと外から見ると苦労をしてきています。

しかし、彼にとっては、好きなサッカーを高レベルでできるというだけで、全然苦労なんて思わなかったのでしょう。

自分がこうやって活かされていて、自然に行く方向がわかったら、ほとんど修業も苦労も努力もしないでいい世界があるのです。

本当は、花が自然ときれいに咲くような生き方ができるのです。

この一瞬一瞬を私たちは活かされているし、それに喜びをもって生きることが大切なのです。

わざわざ苦しい思いをすることはないのです。