1645.ある青年経営者からの「告白」

真我日記

今日の写真は飛行機から雲を撮ったものです。太陽から雲を見下ろすとこんな感じでしょうか。

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佐藤先生の言葉をお伝えします。著者宇宙意識で因縁を切るより
ある日、私のもとに「告白」というタイトルの手紙が届きました。

ここには、竹田康裕さん(仮名・35歳)という若き経営者の奇跡の体験が、赤裸々に綴られています。

彼から送られた手紙を、そのままご紹介したいと思います。

【告白】

未熟な私の未熟な体験です。

又、この4年間手のひらに握りこんで、絶対に外に漏れないようにしてきた体験でもあります。

でも、こんな私の体験が、どこかの誰かを救うきっかけになればうれしい、と思うようになりました。

恥をしのんでお話します。

私が父の会社に入ってもう20年です。

4年前に父が脳梗塞で倒れました。

ワンマン社長だった父が倒れていろんな事が発覚しました。

一億円の借金。

二億を超える連帯保証。

とうに財産は抵当に入っていました。

そのことがわかると長年父の下でやってきた叔父が反発し出しました。

会社経営の危機です。

私は愕然としましたが、私は初めてと言っていいほど必死に働きました。

その最中、父が寝たきりになるのを恐れて自殺を図りました。

莫大な借金を自分の手で清算したい。

という気持ちが強かったのです。

幸い妻が発見して、大事には至りませんでした。

誰よりも尊敬する父、大きな存在だった父。

その父がどんどん小さくしぼんでいきました。

私はさらに頑張らなくてはと決意しました。

そして父の自殺未遂は漏れないように誰にも絶対に話しませんでした。

父は業界のそして地域のリーダーでもあったからです。

お陰様で業績は伸びました。

でも焼け石に水でした。

私はだんだん疲れていきました。

立ち止まりたくて、仕事も減らしたかったのですが、弱音は吐けませんでした。

そうした折、昨年4月に快方に向かっていた父が突然他界しました。

泣いている暇はありませんでした。

「もっと仕事を伸ばさなくては」とさらに強く思いました。

昨年10月頃から自分が首をつる夢を毎晩、毎晩繰り返し見ました。

夜中にうなされて飛び起きると、心臓が別の生き物みたいに激しく動き、寝汗をびっしょりかきました。

一晩に二回も着替えが必要でした。

昨年4月に父を亡くし、心の整理もできないまま仕事に追われていました。

そのことが原因だと思いました。

起きているときはもちろん自殺なんていけないとわかっています。

どんなに家族が悲しむか体験しているからです。

でも、夢の内容を変えることは出来ませんでした。

問題は山積みでした。

進まぬ社内改革、反目する叔父、私の業績が上がる一方で、叔父の担当する仕事がどんどん落ちていきました。

私がいくらやっても穴埋めにしかなりません。

妻は病に倒れ、信頼するIさんともうまくいきません。

体の疲れはたまる一方で、胃と背中にひどい痛みがありました。

毎日、胃潰瘍の薬を飲み、湿布が欠かせませんでした。

自分は悪い病気なんだと思いました。

でも何度検査を受けても正常でした。

医者は「ストレスが強すぎるから仕事を控えなさい」と言いました。

それが出来れば苦労はしません。

全部自分の心が創っていることはわかっていました。

相手が悪いのではなく自分の心に問題があるのだと。

でも、どうしたらいいかわかりませんでした。

自分の限界を知りました。

前に受けたセミナーに参加するか、禅寺で座禅を組もうかと思いました。

とにかく一度立ち止まるべきだ。

日常から離れるべきだと思いました。

不思議なことにそう思った翌日、大学時代の友人から真我開発講座を紹介されました。

正直、費用は高いと思いました。

でも人生と天秤にかけたら出せない費用ではないと考え、その場で参加を決めました。

講座に入って先ず出会ったのは、父の自殺未遂を隠そうとするあまり、誰にも心を開けなくなっていた私でした。

心に重いふたをしていたのです。

絶対に言いたくなかったのです。

そして隠した事さえ忘れていたのです。

実習のときの用紙に書きなぐった父への思い、その中の本当に小さく書いた「自殺未遂」という文字。

それを佐藤先生に指摘された時「しまった」と思いました。

その期に及んでも話したくなかったのです。

「誰がしたんですか」「父です」「大変でしたね」「苦しかったでしょう」と言われた時、心のふたがはじけ飛んだのがわかりました。

大人になって初めて声を上げて泣きました。

涙が止まらなくなりました。

父の自殺未遂は自分の中では克服しているはずでした。

でも、本当は何一つ解決していなかったのです。

自殺しようとしたのも、ためらったのも家族への愛だったと気付きました。

ここからはどんどん感謝の気持ちが自然と沸いてきました。

父にも母にも妻にも、そのたびに声をあげて泣きました。

ずっと父の最大の遺産は仕事だと思っていました。

だから仕事を伸ばすことをすべてに最優先していました。

でもそれは間違いだったのです。

最大の財産は自分自身だったと心から悟りました。

そしてあの偉大な父と自分が一つだったと心から思え、父に近づこうとしていた渇望がなくなりました。

このままで充分なのだ。

背伸びはもうしなくていいんだと悟りました。

しかし、叔父のことは最後まで考えないようにしていました。

逃げている自分がありました。

でも最後の最後で無性に叔父のことを考えたくなりました。

その時の思いを表した文章は別紙にご案内しました。

「自分が正しい」「叔父が間違っている」と思っていたのが、叔父も苦しかったと思えたのが不思議でした。

そして「敵なんかどこにもいなかった」

「すべて自分の頭の中で作り上げた幻だった」と佐藤先生に話すと又、号泣しました。

講座から帰って叔父に「ごめんなさい」と謝り、文章を読み上げました。

かなり失礼な内容なので躊躇しました。

「これは僕の気付きだから、実際Sさんは違うって感じることがあると思う」

「違ったら後で違うって言ってください」と前置きをつけて読み上げました。

涙が込み上げてきて、何度も途中で途切れました。

叔父はずっと目をつぶって腕組みをして聞いていました。

そして「その通りだよ」と言いました。

私のほうがびっくりしました。

「今聞いていてドキッとした」

「誰にも話すことはないと思っていたけどその通りだよ」と言いました。

本当に驚きました。

本当の自分は、自分のことはもちろん、人のこともわかるんだと。

真実は一つなんだと。

本当の自分は愛そのものなんだと思いました。

それから初めて叔父と3時間に渡っていろいろ話せました。

心を開いたら叔父も心を開いてくれました。

叔父はかつて父との関係に悩み、自殺を計画していた事があったそうです。

「一生誰にも言うつもりはなかったけど、話せてよかった」と言ってくれました。

もう前のようなわだかまりはありません。

叔父にもずいぶん相談できるようになりました。

今では叔父がどんどん仕事を手伝ってくれます。

こんなに頼りになる叔父を長い間憎んできたのです。

一体、私は何をしていたんでしょうか?

「もっと早く気付いていれば」という悔いはありますが、「今からでも遅くない」と思っています。

今では心から感謝の気持ちが自然とあふれてきます。

これはゴールではなく、スタートラインだと自分に言い聞かせています。

大きな自信がつきました。

どんどんよくなっています。

今では母も妻も受講して、それぞれ心に溜め込んだ思いをはき出し、感謝の気持ちが溢れだして、今はとても明るい顔になりました。

また、家内にしかなつかなかった息子が、今は私にべったりです。

家族がどんどん輝いてくるのはうれしいものです。

きっとこれが父が最も望んだ事なのだと思います。

もう少し遅かったら、私はこの世にいなかった。

そんな実感があります。

改めて、出会いの不思議さ、素晴らしさに感謝しています。

そして僕を助けてくれたのは実は天国の父ではなかったか、天国の祖父ではなかったかと素直に感じています。

「俺と同じ間違いはするなよ」

「一人で抱え込むなよ」

繰り返し見たあの夢は父からのメッセージだったのだと今は思えます。

あれきりあの夢は見なくなりました。

父も安心してくれたのだと思います。

父は自殺未遂の時、自由にならない身体をひきずり、最後の力を振り絞って物干し台にロープをかけたのです。

そして輪になったロープを前にして寒空に2時間ぐらいためらっていたようです。

何を思っていたのでしょう。

妻が見つけて母が介抱した時、冷や汗をびっしょりかき、言葉を失い、痙攣し、失禁していたそうです。

私はそんな父の体験を追体験したのでしょう。

そうそう。

体の方ですが、あれほど長く続いた全身の痛みは嘘のように消え去りました。

尿の色も朱色でひどい悪臭があったのが、受講の翌朝、レモン色になり、いい匂いまでするのには驚きました。

もう薬はいらなくなりました。

現実の状態はまだまだ厳しく、一見最悪と思える状況もあるのですが、何があっても、私はもう自殺することはありません。

天寿を全うする。

「私自身が最大の財産」なのですから。

父はいつも私と一緒なのですから。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

私の残りの人生の始まりです。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します」