1272.私は素晴らしい!と言うのが最も謙虚な姿勢

真我日記

これからの時代は真我の時代です。

神になって、徹底的に人生を考えるのです。

神になりきるのです。

神は無限の力なのだから、神を自覚して、それを出していけば何事も上手くいくのです。

愛の塊の無限の力だから悪い方に行くはずがありません。

私が言っていることはいつでもどこでも役に立つはずです。

世界を変えることができるのです。

愛の力で生命力を引き出せば病気だって治るのです。

我々の中には病気と闘える力があります。

薬など問題にならないほどの強い力があるのです。

生命は病気になっても元に戻ろうという力があるのに、人間はその力を病気だと思い込んでしまって、止めてしまうのです。

治そうという愛の力が人間にはあるのです。

自然に起きてくることはその力が働いていることなのです。

我々の妄想で起きていることではありません。

自然の力、大宇宙の力は総てなのです。

ですから、自然に起きていることなのか、妄想で起きていることなのか見分ける必要があります。

インスピレーションは当たっていることが多いのです。

余分なことを考えて出すものではないからです。

神は善であり、愛であり、無限の力です。

我々は少ししかその力を出していません。

我々もそれだけの力があることを自覚するのです。

そうするとその力を使うことができます。

我々の中に神の知恵があることを自覚するのです。

そうすれば周りが良くなってくるから、素晴らしい人生になるのです。

なかなか言葉は難しい。

信じると言う言葉もそうです。

これを机だと信じるというのは変です。

これは机だと言った方がいい。

「私の心の中に神があると信じる」という言葉はまだ本当は弱いのです。

宗教でよく「信じなさい」と言うが、この言葉はまだ弱いのです。

もうそうだと言い切るのです。

そこには段階がありません。

神を信じるというのは二段階なのです。

この世の中の万物に人間のつくったものはありません。

人間は組み合わせただけなのです。

このことは絶対に、謙虚にならなければなりません。

人間同志の謙虚ではありません。

「いえ、私なんかとんでもないですよ」というのは謙虚ではないのです。

「私は大したことはないですよ」と謙虚そうに振る舞っているけれども、内心は自分は立派だと思っているのです。

普通の人間関係で「私は素晴らしいのです」というのが謙虚なのです。

何故かというと私をつくったのは私ではないからです。

「この机は素晴らしい」と言ったら、机そのものではなく、机をつくった人を褒めたことになり、私は素晴らしいと言うことは、つくった人を褒めることになるのです。

これが謙虚です。