これからの時代は真我の時代です。
神になって、徹底的に人生を考えるのです。
神になりきるのです。
神は無限の力なのだから、神を自覚して、それを出していけば何事も上手くいくのです。
愛の塊の無限の力だから悪い方に行くはずがありません。
私が言っていることはいつでもどこでも役に立つはずです。
世界を変えることができるのです。
愛の力で生命力を引き出せば病気だって治るのです。
我々の中には病気と闘える力があります。
薬など問題にならないほどの強い力があるのです。
生命は病気になっても元に戻ろうという力があるのに、人間はその力を病気だと思い込んでしまって、止めてしまうのです。
治そうという愛の力が人間にはあるのです。
自然に起きてくることはその力が働いていることなのです。
我々の妄想で起きていることではありません。
自然の力、大宇宙の力は総てなのです。
ですから、自然に起きていることなのか、妄想で起きていることなのか見分ける必要があります。
インスピレーションは当たっていることが多いのです。
余分なことを考えて出すものではないからです。
神は善であり、愛であり、無限の力です。
我々は少ししかその力を出していません。
我々もそれだけの力があることを自覚するのです。
そうするとその力を使うことができます。
我々の中に神の知恵があることを自覚するのです。
そうすれば周りが良くなってくるから、素晴らしい人生になるのです。
なかなか言葉は難しい。
信じると言う言葉もそうです。
これを机だと信じるというのは変です。
これは机だと言った方がいい。
「私の心の中に神があると信じる」という言葉はまだ本当は弱いのです。
宗教でよく「信じなさい」と言うが、この言葉はまだ弱いのです。
もうそうだと言い切るのです。
そこには段階がありません。
神を信じるというのは二段階なのです。
この世の中の万物に人間のつくったものはありません。
人間は組み合わせただけなのです。
このことは絶対に、謙虚にならなければなりません。
人間同志の謙虚ではありません。
「いえ、私なんかとんでもないですよ」というのは謙虚ではないのです。
「私は大したことはないですよ」と謙虚そうに振る舞っているけれども、内心は自分は立派だと思っているのです。
普通の人間関係で「私は素晴らしいのです」というのが謙虚なのです。
何故かというと私をつくったのは私ではないからです。
「この机は素晴らしい」と言ったら、机そのものではなく、机をつくった人を褒めたことになり、私は素晴らしいと言うことは、つくった人を褒めることになるのです。
これが謙虚です。