1273.知っている人ほど一番知らない

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

「君のことはよく知っているから」ということを口にする人がいます。

では、それをいわれた人はどう思うでしょうか?

本当にその人のいうとおりでしょうか?

「知っている」といった瞬間、それはその人がこうだと思いこんでいるほんの一部にしか過ぎなくなります。

つまりは、「知っている」といった瞬間に、本当には知らないことになるのです。

知っていると思った瞬間、知らない世界に入るのです。

会社のなかでも、よく上司が部下に対してこんなことをいっています。

「君はどうも昔から落ち着きがないね」「君は気配りが足りないね」

これは、確かにそういう一面もあるかも知れないけれども、その人がそういう人だと決めつけるのは、とても偏った見方なのです。

その背景には必ずその人の本質が隠れているものなのですが、そこを見ようともせず、いたって表面的にとらえてしまっています。

そして、特に会社の上下関係などにおいて、あなたはこうだから、君の能力はこうだから、というのは大変、人を制限してしまうことになるのです。

人によってはあまり何度もそういわれると、自分はそういう人間なのかなあ、と思い込んでしまう可能性があります。

短期的に売上や利益を上げるという目的のために、人をあえて決めつけて使うという会社もあります。

短期的に見たらその方が軍隊みたいに統制がとれて、組織が機能する場合があるのです。

こういう会社は結構多いようです。

逆に、どうしたら我が社は社会に貢献できるだろうか、と会社の存在意義をしっかり考え、永続的に発展させようという意図のある会社は、社員一人ひとりに潜在している能力を発揮させようとします。

こういう会社では人を決めつけず、まだどんな可能性があるだろうか、どんな長所を持っているだろうか、という接し方をします。

この方が社員一人ひとりは、ノビノビ、イキイキ働けるので、どんどん力を発揮していくことになります。

重要なのは、人を知ろうとするのではなく、「観える」ようになるということです。

知るというのは、知識として知っている範囲と、肉眼で見える範囲に限定されてしまいます。

そうではなくて、私が「観える」といっているのは、「真眼」で観るということです。

表面的にでているところではなく、それがわきでているもとになる心、真眼というものがあるのです。

それで観ていくと、人との接し方や見方が全然違ってくるのです。