1233.心には悩みがあるが真我には悩みはない

真我日記

佐藤康行の言葉ををお伝えします。

自力というのは我々の意思の力でそちらの方に向けていくということです。

そして、向けていって自分の意思でやっていくということです。

もっとわかりやすく言うならば、我々人間に100の力があるとしても、10%、15%の力しか出さず、残りの90%、85%は遊ばせて、あの世に行ってしまうとよく言われますが、残りの90%を合わせ100の力というのは既に与えられているものなのです。

自分でつくったものではないのです。

だから、これは他力なのです。

宇宙の力、神の力なのです。

我々は自分の意思の自力の力では10%ぐらいしか出していないということなのです。

従って、15%、20%、25%出そうとする意志の力は、自力でやっていかなければならないのです。

ここが大事な点です。

本当はこちらの方に心を向けて、開発していくことが必要なのです。

そして、既に自分にはそれぐらいの力が備わっているということを自覚することが大事であり、それは自力でするのです。

従って、他力は無限の力を自覚する、自力は意識してそれを出そうとする力のことを言います。

他力(宇宙の法則、神の力)は信じる、自覚するしかないのです。

即ち、そういう力があるのだということを自覚して、そして、そちらの方向に向かって力を出していく、そのことが大事なのです。

私も仕事をやってきて、いろいろな痛い目にあったり、壁にぶち当たったりしました。

そして、自分の心が荒んだこともありました。

自分の心を運転できなくなったことがありました。

暴走してしまったのです。

その時に私は心って難しいなと感じたのです。

心というのは難しいし、恐ろしいと思ったのです。

目の前が真暗になり、人間は座ったまま、自分の体に指一本触れないで死ぬことができると思いました。

そこまで私は味わったことがあるのです。

心が死んでしまったら、肉体は死ぬと言います。

大雨の日に私は飛行機に乗ったのです。

飛び立って雲を突き抜けたら、そこは太陽で光々と晴れていたのです。

雨が降っているのは下だけだったのです。

私はそこで見下ろした時に景色とかそんなもので感動したのではなく、自分の心と対比して感動したのです。

私が悩んだり、苦しんだりしているのは、この雲の下の世界のことなのだということがわかったからです。

私の心のもっと奥にあるもの、即ち真我には何も悩みはないのだ、私は真我と言っているが、そこには悩みがないのだ、ということを飛行機に乗って、その景色を見た時に自分の心というか人生というものが感じ取れたのでした。

私はそういう時には、何を見ても自分の心に対して感動する性格みたいなのです。

木というか大木を見て感動したこともありました。

何故、感動したかというと“蹴飛ばしても何にしても動かない木はすごい、それに引き換え、私の心はちょっとしたことで動揺する”と木を尊敬したことがあったのです。

そういうことを勉強しなければならない時代に来ている気がしてならないのです。