1212.運を掴む秘訣は的をずらさないこと

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

運のない人のほとんどは、力を分散して使っています。

だから、能力があるのに結果がついて来ないのです。

そういう人には、幸運はなかなか巡っては来ません。

一旦、やるべきことや目標を決めたら、徹底的にその一点に的を絞ることです。

そして、他のことに惑わされないことです。

それが、運を掴む秘訣なのです。

“石油王”と言われたポール・ゲッティーは、石油を採掘する時、石油以外のものには一切目もくれなかったといいます。

採掘する途中、ダイヤモンドや金が掘り出されたことがあったのですが、それらには全く構わず、休まず石油が出るまで掘り続けたのです。

その姿勢が、彼を石油王に成らしめたのです。

目標を一度決めたら、そのことだけに焦点を絞って、的をズラさないことです。

「あ、あれもいいな、これもいいな。

そっち話も面白そうだな…」と、フラフラしていたら、いつまで経っても本当に欲しいものを手にすることはできません。

豊臣秀吉は、目標意識が明確で、徹底してその目標から焦点をズラしませんでした。

そこが、他の武将との決定的な違いだとも言えるのです。

織田信長が、本能寺の変で明智光秀に殺された時、秀吉は毛利を攻めていました。

それも、もう少しで降伏させられるという局面を迎えていました。

しかし秀吉は、信長の訃報を聞くや毛利攻めを一旦休止し、あっという間に光秀を討ちに天王山に向かったのでした。

そして、光秀の軍を滅ぼし天下統一へ大きく前進したのです。

秀吉には、天下統一という目標が、大変明確だったのです。

それ以外のことには一切動かなかったのです。

的がズレていなかったのです。

信長に侮辱され、信長憎しの感情に流されて本能寺の変を起こしてしまった光秀とは、そこが大きく違ったのです。

光秀は大変有能な武将だったのですが、プライドの強さが邪魔をしたのです。

プライドの強さが、的をズレさせたのです。

秀吉は、天下を盗るためには今自分は何をするべきかに、いつも集中していました。

信長の家来になった時から、常に焦点が明確に定まっていました。

数いた戦国武将の中で、当時はそれほど勢力のなかった信長を選んだのも、信長の決断力、先見力、鋭い洞察力、勇気を見抜いたからでしょう。

そして、信長に天下を盗らせるために、徹底的に信長のために働きました。

草履取りの時は、草履取りとして、足軽の時は、足軽として最大限信長に貢献したのです。

柴田勝家や前田利家といった有力な信長の家来たちに対して徹底して礼節を尽くし、なお且つ、誰の派閥にも入らなかったのは、信長に天下を盗らせることに目標が定まっていたからです。

多くの人は、ほとんど目標が明確でないから何事も成せないのです。

例え目標が定まっても、途中で的がズレてしまうから、それを達成できないのです。

目標が明確で、的をはずさない人の所に運は訪れるのです。