859.個体意識から全体意識へ

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

個体意識から全体意識へ
についてです。

先人からの財を継承し、
後代へ贈ることは、
自分一人の利益を
超越することです。

財物を独り占めせずに、
自分は中継地点であると自覚して、

よりよい未来のために
後代へ譲り渡すことは、
自分一人の肉体に
執着してはできないことです。 

よく金はあの世に
もっていけないといいますが、
まさにその通りで、

金という物質次元のものを
あの世にまでもっていって、
独り占めにできる
はずがないのです。

この世のものは
この世に置いていき、
魂一つであの世に
還らなければなりません。

人間本来無一物です。

裸で生まれて裸で死にます。

物質とはおよそ長くても
100年ちょっとの人生という
時間を通りすぎる、

生活上必要なものに過ぎません。

いつまでも執着しては
ならないものです。

そうした財物に
いつまでも固執していると、
個体意識が消えません。

個体意識とは自分一人の考えに
固執する意識です。

学習して、後天的に
身につけた意識であると
考えて結構です。

人が「自分の考え」
というときの意識は、
ほとんどが個体意識です。

一方で、人間には
個体意識を超越した
全体意識も存在します。

全体意識はもともと、
人間の魂の奥に
存在している意識です。

真我であり神であり、
宇宙意識です。

自分自身の意識が、
いい換えれば個体意識が
完璧になくなったとき、
全体意識が現れます。

同じ意識でも、自分という
せまい世界にとらわれている限り、
それは個体意識です。

無限にある空気も、
ガラス玉に封印されると
小さく固まってしまう
のに似ています。

ガラス玉こそは「我」です。

堅くて重く、
凝り固まった「我」です。

「我」の中に本来ならば
融通無限に動く宇宙意識を
閉じ込めたため、

それは個体意識に
なってしまったのです。

ガラス玉同士がぶつかれば、
当然傷がつきますし、
争いもおきます。

固い物同士がぶつかるのですから、
双方がダメージを受けます。

これが私たちの生きている
世界で無数に見聞することです。

私たちはできるだけ早く、
このガラス玉を割り、
空気(意識)を解放
しなければなりません。

ガラス玉を割るということが、
生まれ変わるということです。

ダライ・ラマは
「生きているうちに
生まれ変わることが一番尊い」
と書いています。

財産を独り占めし、
後代にも残さないのは、
個体意識の最たるものです。

全体意識に目覚めるには、
先人から受けたものを
より価値あるものにして、
後代に伝えなければなりません。

そうした行いのうちに、
真我も開くのです。

あってはならないのは、
せっかく先人が
ダイヤを残してくれたのに、
それを浪費して
使い果たしてしまうことです。

これならば、
何も残してもらわない方が
本人のためにはよかった
ということになりかねません。

ダイヤを受けたのならば、
感謝して受け取り、
最大限に活用することが
大切なのです。

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