今朝の万里子さんのブログを読んで気づいたことがある。
私は相手の時間を奪ってないだろうか?
部長の時間を奪っていたのではないか?
以下の括弧内は万里子さんのブログの本文の抜粋です。
(ごそごそやって探している事が相手の時間を奪っている。そのこと自体が失礼なわけなのだ。わかる人にはわかる)
これも部長のことだ。
(すぐに対応すること)
これも部長のこと。
(全部を一枚の紙でわかるようにする)
これもいつも部長に言われることだ。
(全部調べてから相手に連絡をしようとするのは手柄を見せようとしている。)
これは私のことだ。部長に対する私の行動はこれ。
(その間は相手を待たせている。自分のことしか考えてないということになる)
これも私のこと。
(相手を待たせてはいけない。即行動する。すぐ謝りからいけばよい。相手が勘違いしていたら、勘違いさせた。勘違いさせてはいけないのだ。すみません、わかりにくかったですね。からいけばよい。頭を下げるところからいけばよい)
部長に対して私がやるべきことだ。
(何かを全部、改善してから「やりましたよ」というのは相手の顔に泥を塗ること。相手は「それは、俺が言ったからだろ」と思うことになる。)
いつも部長に「それは、俺が言った言葉だ。真似するな!」と怒られるのはこういうことだったのか。
(苦情を言ってくれたことを「ありがとうございます。」と言えばその瞬間、相手の手柄になるのだ。)
これが出来たら最高と思うが、部長に何か言われると、いつも私の中から最初に沸いてくるのは「くそじじい死ねば良いのに!」だ。情けないが、これが現状。
(相手も自分が言った事に対して「ありがとうございます」「おかげさまでこういう風になりました」と言われたら一瞬で気分良くなるものなのだ。)
これはわかる、これが私が出来た時は部長も気分の良さそうな顔をしてるからすぐわかる。
(「言って良かった」「わかってくれた」そう思ってもらうことが大切なのだ、わかってもらえないと「いうんじゃなかった。いやな思いをさせてしまったかな」と思い「悪かったかな」となってしまう。)
私はいつも部長にこんな思いをさせていたのかな?部長に申し訳ないな。
私はプライドが高くなかなか人に謝ることが出来ない。自分が悪いと思ってないからますます無理だ。
(これができるようになれば時間が短縮できて仕事は早くなる。)
だから私は仕事が遅かったのか。理由がわかった。