2622.真我の鏡返しの急所

真我日記

写真はうえののあなご飯です。本場の宮島でいただいてきました。めちゃくちゃ美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

著書「わがままスッキリノート」から見ていきます。

早紀さん:

主人の薬物の問題を自分の問題だと思う、というところまではわかったつもりなんですが、

でも、問題はないっていうのが、わからなくなってしまうんです。

問題はないっていうのは、すでに完璧だという意味で、

なんとなくわかるつもりではいるんですが、

「私の夫の薬が増えた。それを自分の問題としてとらえる。でも問題はない」と言われると、

わからなくなってしまいます。

 

 

佐藤先生:

夫が薬を飲んでいる問題を自分の問題としてください。

でも問題はないんです。

相手は真我で、完璧なんですから、完璧な接し方、扱い方をするのです。

完璧っていうのは、何か問題ありますか?

問題ないんです。

 

 

早紀さん:

先ほど自分の問題だと捉えるようにと言われて、そこからわからなくなったんです。

 

 

佐藤先生:

例えば、この机は平らですね。

仮に、自分の目の錯覚で、でこぼこに見えるとします。

本当は平らなんですよ。でこぼこではないわけです。

自分の目の錯覚で、でこぼこに見えている。

でも完璧で平らだから、でこぼこだと思っているものを相手にしないということです。

それを相手にすると、「でこぼこだよ、あなたの目がおかしいんだよ」と、

相手と口論になったりするんです。

お互いに目が違うから、向こうのでこぼこと、こっちのでこぼこは違ったりもするわけです。

本当は平らなのに、一生懸命、そういう会話になってしまうんです。

そのような会話しないで、

「ほら、平らじゃない、何の問題もないじゃない」と続けるんです。

すると、目が自動調整されて、でこぼこに見えるものが消えていくわけです。

平らだということに気がつくわけです。

「最初から平らだから大丈夫丈夫だよ」という接し方、扱い方をするんです。

そうすれば相手は夢から覚めるようにでこぼこが消えていくわけです。

 

 

早紀さん:

今のはわかったつもりなんですが、先ほど自分の問題だと捉えなさいとおっしゃって、

それは問題はないという、そこがいまだに分からないんです。

 

 

佐藤先生:

相手がでこぼこに見えるというなら、

「ああそうね、でこぼこだね」「そういう風に見えるの」と言ってあげればいいんです。

そうすると、自分のことを受け止めてくれていると思うでしょう。

でも本当は平らだから、ここは平らだということを絶対にずらさないということです。

平らだということで、貫いていくということです。

それが自分の問題なんです。

早紀さんは、夫が薬うんぬんと、ずっといい続けているでしょ。

それを相手にしているんです。

相手にしている自分が問題ですよと言っているのです。

 

 

早紀さん:

本当は平らなのに、でこぼこに見えている私が問題なのだと。そうか。

 

 

佐藤先生:

それをずっと言っているんです。

またデコボコになった。

それは自分の問題だ。

でも、でこぼこではなくて平らだ。

私が平らで徹していないからなんだ。

分かってきましたか?

 

 

早紀さん:

分かりました。

 

 

佐藤先生:

平らだと言えるのだったら、絶対に揺るがないはずです。

それを揺らいでいるのが問題だと言ってるんです。

だから自分の問題じゃないですか。

 

 

早紀さん:

でこぼこに見えているのは、自分の問題なんだけど、

本当はそういう問題ははない、ということですね。

それはわかったつもりなんですけど、

「夫が薬を飲んでいることも完璧だ」という捉え方なのかなと理解していたんですが、

そうではないのでしょうか?

 

 

佐藤先生:

ご主人が薬を飲んでいる。

それがでこぼこに見える。

早紀さんがそういう目をしているからそのように見える。

その目の通りに見える。

そういう意味で完璧です。

でもこれは平らなんです。

 

 

早紀さん:

飲んでいるものは飲んでるじゃないって思っちゃうんですよね。

 

 

佐藤先生:

飲んでいるものは飲んでいる。

その夫の心のほうだけを見るんです。

薬は現象面に現れている彼の心の表れだから。

薬を飲むようになった心というふうに捉えたらいいんですね。

それは、何かを見落としています。

自分の中にある何かを、その薬によって埋めようとしているわけです。

本当は、その何かを埋める必要はないんだということに気づいたら、

まず心が満たされるわけです。

満たされた瞬間に、それはいらなくなるんです。

いらなくなるから薬は止まるわけです。

最初から完璧に満たされているということに気づけば、何かを補充しなくていいわけです。

そうすると、現象面の目に見える姿も変わってくるわけです。

 

この机は平らです。

でも、相手は、お茶を入れてここに置いたら、

でこぼこだからカップが倒れると思っているわけです。

そうすると、このカップはずっと置かないでおこうということになります。

だから、「いや、大丈夫よ」「ほら、大丈夫」と、普通に机の上においてあげればいいんです。

そのようにしていけばいいのであって、

相手に気づかせようという努力もいらないわけです。

「あれ」と、目が自動調整してきて、自然と平らに見えて、でこぼこが消えていくわけです。

それまでは、「ああ、そう」と相手にしてあげる。

でも、心の中では、ここは平らだと揺るがないということなんです。

 

 

早紀さん:

薬を飲んでいても相手にしないで、彼が完璧だというところだけを見続けて、

そのように接する….?

 

 

佐藤先生:

そうです。そのように接するんです。

 

 

引き続き、佐藤先生と早紀さんのお父さんとの対話にその接し方の急所があります。

 

佐藤先生:

私は、大葉さんのアルコール依存症も早紀さんのご主人の薬物依存症も、問題には見えません。

一般的には大変な問題ですね。

しかし、私には、それが問題であるとは見えないのです。

真我には、問題というものは存在しません。

問題がないと思って相手にする場合と、問題があると思って相手にする場合とでは、

対応が違う。

真逆でしょ。

私は、問題がないという前提でやっているのです。

 

 

早紀さんのお父さん:

私は、初校申し上げたつもりだったのですが、

理解が間違っているのなら教えて頂きたいのです。

相手、すなわち婿が素晴らしい男に見え出しました。

問題がないわけです。

今までは、薬物依存ばかり見ていて、問題あるなと思っていたのですが。

 

 

佐藤先生:

薬物依存症が治ってきたから、素晴らしく見えたのですか?

もし、これまでと変わらず薬物依存だったら、どうですか?

 

 

早紀さんのお父さん:

今までは、彼を知る機会がなかった。

そのことは事実です。

 

 

佐藤先生:

いえ、違います。

彼がまだ以前と薬物依存であったならば、どうですか、とお聞きしています。

問題だと思うでしょう?

 

 

早紀さんのお父さん:

治ってほしいと思います。

 

 

佐藤先生:

そうでしょう。

だから、そこが全然違うのです。

治ってほしいということは、問題があると思っているからです。

そんなことではないのです。

薬物依存症があっても、私には問題ではない。

何も問題ない。問題がないということが、前提なのです。

 

人は、過去のトラウマや記憶に基づいて、「あの人はこうだ」という思い込みをしています。

また、現象面にとらわれて、「あの人には問題がある」という見方をします

しかし、「それが違っていた」、「相手は完璧で、問題などなかった」と気づいて、

ようやくそこで「これが真実だった」というのは、実はおかしいのです。

なぜなら、それがもともと真実なのですから。

もともと問題なのなかったのですから。

「問題はない」ということは、それを解決する必要がないということです。

相手は真我なのですから、相手を救おうとか、

何かを教えてやろうなどと思う必要はないわけです。

相手は完璧です。

実際、薬物依存症の婿の義父である山里さんや、奥様の早紀さんは、

「彼が素晴らしく見えてきた」と、口を揃えておっしゃいました。

しかし、自分たちの目が変わっただけで、早紀さんのご主人は一貫して同じだったのです。

最初からそうだったのです。

相手に問題はなく、それどころか素晴らしいのですから、

100パーセント自分の問題として、その素晴らしい相手から学ぶ姿勢になってくると、

自分も相手も、ますます変化していくことになるのです。