2359.人を責めるのも自分を責めるのも同じ

真我日記

写真は豚汁です。具沢山で美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

人を責めるのも、自分を責めるのも同じ】===========

 

 未開の地に行って、最新のコンピュータを見せてみたところで、彼らにとっては何の価値も持たないに違いない。

 

動物に札束を見せても、やはり見向きもしない。

 

それと同じく、全ての物事はあなたの価値観、あなたの感性のレベルでしか見えない。

 

どんなに美しい音楽が流れても、耳が聞こえなければそれはないのと同じなのである。

 

環境は全て自分なのである。

 

そのことを自覚できれば、それだけでもものの見方が劇的に変わる。

 

環境を変えるのも、自分を変えるのも同じであるから、人を責めるのも、自分を責めるのも同じなのである。

 

他人を責めて落ち込ませるのも、自分を責めて落ち込むのも同じなのである。

 

他人に向けて矢を放ったか、自分に向けて矢を放ったかは、間接と直接と違いがあるだけで全く同じことなのである。

 

相手に矢を向けたら、相手もこちらに対してやがて矢を向けてくるだろう。

 

と言うことは、相手に矢を向けたら、相手と自分の二人に矢を向けたことになるのである。

 

自分に矢を向けた場合でも、被害者は一人ではない。

 

自分のまわりにいる伴侶や親、子どもたちにもその悪い影響が及んでしまう。

 

あなたの肉親に矢が刺さっているのを見たら、あなたもきっと苦しむことだろう。

 

自分に矢を向けても、結局は人に矢を向けたのと同じになるのである。

 

心の法則は因果応報で、自分が行ったことがやがては返って来る。

 

全ては心の反射で、心と現象とは一対なのである。

 

いくら相手と争っても、それは鏡に写っている自分と闘っているに等しいのである。

 

(『たった2日であなたを神に目覚めさせてみせる』ハギジン出版)