1155.光を照らせば闇は消える

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

「光を照らせば闇は消える」
についてです。

じゃあ、
どうしたらいいか?

それには、

その業のさらに奥にある真我、

本当の自分に
目覚めればいいということなんです。

自分の中にある真我は、

内なる宇宙の心、
神の心、
仏の心。

光そのもの、
愛そのものの自分と言ってもいい。

実相という言い方もできる。

この光の心を
引き出して行くんです。

わかりやすく例えるなら、

頭で考える
プラスとかマイナスというのは蓋です。

業はゴミです。

真我は黄金です。

この蓋をとって、

ゴミを出して、

トントントントン…と
深くに掘っていくと、

トン、
バー!っと
黄金が吹き出してくる。

講座では、

これを二日間かけて、
やるんです。

業は闇みたいなもので、

真我が光ですから、

光で業と言う闇が
消えていくんですね。

そうすると、

全身が、

愛と感謝と喜びで満ち溢れてくる。

本当の感謝です。

頭で学ぶ感謝は
偽物の感謝です。

頭で学ぶ愛は、

イミテーションの愛です。

本当の愛とか感謝は
自分の中から湧きあがってくる。

本当の癒しは
自分の中から出てくる。

真我をどんどん開いていくと、

全体と個が融合していきます。

それぞれがバラバラだと、

それは分離です。

それが
完全に融合していきます。

完全に
大調和されている姿です。

自分と自分のまわりにいる人たちとが
融合されていく。

自分と日本が融合されていく。

自分と世界が融合していく。

自分と地球が融合していきます。

自分と宇宙が融合していきます。

そういう感覚になっていきます。

しかし、

それを頭で理解することは
無理です。

頭でいくら考えても、

そういう気持ちになることは
永遠に不可能です。

真我に目覚めれば
それを体感できるんです。

なぜなら、

真我は
内なる宇宙だからです。

もともとある宇宙と
一体となるんです。

風船で例えると
わかりやすいと思います。

風船を
プウーッと膨らました時、

外の空気と
その風船の中に入っている空気とは
分離しています。

風船は頭と業の例えです。

そして、

風船をパーンと割ったら、

一瞬に
全体の空気と融合するでしょ。

真我をパーン!と開いたら、

真我は宇宙ですから、

一瞬の内に完全に
自分と宇宙が一つになれる世界がある。

これが本当の宗教なんです。

宗教と言うのは
「宇宙を示す教え」と
書くでしょ。

決して宗教団体のことを
言うんじゃないです。

あれは、
人間が作ったものですから。

お釈迦さんの一番やりたかったことは
これなんです。

自分の中にある
本当の自分に目覚めること。

今の宗教も、

本当の自分に
目覚めさせようというのが、

本来の目的なんです。

座禅や瞑想をやるのは、

頭を取って、

どんどん
真我に近づいていくためです。

「南無阿弥陀仏」、
「南無妙法蓮華教」と唱えるのも
真我に近づくためです。

ところが、

「南無阿弥陀仏」、
「南無妙法蓮華教」の
どっちが正しいとか言って、

喧嘩をしているでしょ。

本当にあれはナンセンス。

あれは実は同じ意味なんです。

「南無阿弥陀仏」というのは、

即身成仏と言って、

「この身このままで
仏であることを悟る」という意味。

本当の自分に目覚めたら、

「このまんまで
あなたは仏なんですよ」と。

それが解脱であり、
究極の悟りなんですよと。

「南無妙法蓮華経」は、

泥沼の中に
蓮の花が咲くということ。

泥沼と言うのは
この人間社会のこと、

蓮の花と言うのは
真我のことです。

つまり、

「南無阿弥陀仏」も
「南無妙法蓮華経」も、

両方とも
「真我に目覚めなさい」と
言っているんです。

同じなんです。

真我に目覚めた時に、
宇宙と一つになる。

空海という人も、

「宇宙即我」と言った。

宇宙そのものだということに
目覚めることが、

人生の目的であると。

しかし、

いつのまにか私たちは、

表に
幸せがあると思い込んで、

表に
幸せを探して走りまわっている。

だから、

奪い合いの世界になっていく。

自分の中に
全てがあるんです。