2264.完璧を求めない2

真我日記

写真は焼鳥丼です。鶏肉がプリプリで美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【完璧だから、完璧を求めない2】===================

 

なぜなら「もともと(すでに)完璧」だからです。

 

少しわかりづらいかもしれませんね。

 

「完璧」とは、例えば夜空に三日月が出ているとします。

 

三日月だから欠けています。

 

その欠けている三日月を見て「真んまる、まんまる、まんまる……」と唱えながらずーっと見ていたら、だんだん円く見えるようになっていきます。

 

─月はもともと真ん円ですから三日月が少しずつでも円く見えるようになっていきます─

 

さらにずーっと「まんまる、まんまる、まんまる……」と朝までやっていたら、夜が明けてきて三日月から白く真ん円く月が出てくるわけです。

 

本当の、もともとの月は真ん円ですからね。

 

このような感じのことなのです。

 

もし、あなたが三日月の欠けている部分をなんとか足して真ん円にしようとするならば、月は真ん円ではなく欠けているものだと認めることになるわけです。

 

それを人にたとえるなら、あの人は欠けている人間だから私が助けて欠けている部分に何か足そうと、

 

その瞬間から相手より自分が上の立場になって上から目線で(そう思ってなくても)なにかしてやろうとして、さらに足す物は本来のものではなく模造品になりますね。

 

足そうとしている部分は、その月そのものではないわけですから。

 

その円を求めるのではなくて、欠けている月をじーっと見ながら「まんまる、まんまる、まんまる……」と、つまり「完璧、完璧、完璧……」とやるだけなのです。

 

たまたま(影で)隠れて見えないというか、欠けているように見える(認識できる)だけで、月(実相)は本当は円であり完璧なのです。

 

私たちは目で見た認識で欠けているように見えているだけです。

 

だから認識の世界ではなく、実相の世界、すなわち真眼(神眼)でみれば、肉眼で認識している三日月ではなく実相である円い月が見えてくるわけです。

 

認識で捉えていたのがだんだん実相を捉えられるようになるという、「完璧愛ポスト」のワークはまさにそれを誰でも簡単にできるようにした画期的なツールなのです。

 

「完璧愛ポスト」だけではありません。

 

真我開発や私が編み出した真我の技は基本的にすべてそういうものなのです。

 

三日月に円を求めない、なぜなら欠けて見えているだけで本来は円いからです。

 

人にいわゆる完璧を求めない、なぜなら完璧だからです。

 

自分にもです。

 

求める必要はありません。

 

求めてしまうとどつぼにはまります、苦しんでしまいます。

 

ひたすら真我を追究し、実相と認識が一致していくようにしていけば、あなたの世界は変わります。