写真は深川めしです。真我の確信のある方々とご一緒に食べてお話して心が洗われました。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【素晴らしい自分を認める 2】===================
では、「真我開発」という看板を掲げ、佐藤康行は何をやっているのかというと……それは、私が最近よく話している「満月と三日月」のたとえ話で説明できます。
みなさんが夜、お月様を見ています。美しい名月、三日月です。
その三日月しか見えていなければ、月はどんな形? と聞かれると、その欠けている三日月を教えるでしょう。
絵にしても三日月の絵を描くでしょう。
本来の月は、真ま円の満月の円い形をしていますが、その場では三日月にしか見えませんから。
このことをあなたの心にたとえてください。
あなたの周りにいる人にたとえてください。
三日月は欠けています。
しかし本当は円まるい月が完璧なわけです。
すると、欠けてるから何かを足して円くしよう、相手の心が欠けているなら何かを足して円くしてやろう、より完璧になるようにしようと……現代の人間はそうやっていつも何かを足そう、足してやろうとやっているわけです。
何かを表からもってきて欠けている部分に足して円くしようとします。
その何かとは、薬だったり、いい教えだったり、何かの教訓だったりです。
三日月=欠けているわけですから、それが劣等感(コンプレックス)になったりもします。
そんな心で人を見ると、人も欠けている三日月に見えてしまいます。
自分の欠点を見たら相手の欠点も見えてくる、また見ようとします。
それが結婚相手だったり、自分の子どもだったり、愛する人だったりです。
もしかしたら、その相手や、我が子を三日月にしたのは自分かもしれない、そう思うと罪悪感で自分を責める気持ちも出てきます。
愛するが故になんとかしようと思うとますます相手が三日月に見えて、それが子どもなら、この「ダメな子」をなんとかしなきゃと、もう「ダメな子(欠けている子)」が前提になってしまいます。
精神的な病気になったとしたら、病院に連れて行くと医師や病院側は全員がすぐ「ダメな子」と判断して(それがいわゆる病院というものなのですが)、みんながみんな寄ってたかって「欠けてる」「三日月だ」と……。
子どもの側も、自分を愛してくれている人がやっていることであればあるほど、その状況から逃れられなくておかしくなっていくわけです。