1486.感謝の気持ち

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生命の覚醒より
受講者が作った作文を紹介します。

これを頭で理解するのではなくて、この言葉を呼び水として自分の中にある愛を引き出してください。

感じるのです。感じてください。

考えるのではないのです。感じるのです。

感じるというのは一秒でできます。

考えるといろんなことがゴチャゴチャになって、結局わからなくなります。

だから考えないでください。

「感謝の気持ち」

私の中に光がある。とても眩しい光がある。全てを優しく包み込む光だ。

太陽に似ている。素晴らしい。全ては愛なのですね。私たちは愛でつながっている。光は誰の心の中にもある。

ありがとうございます。私を生んでくれたもの全てに感謝します。

お父さん、お母さん、兄、姉、友達、犬、猫、牛、植物、みんな支え合って生きている。
全てが光の分身、光そのものですね。

なんときれいな瞳なんだろう。

こんなに透明になれるなんて、私は素晴らしい。私たちは素晴らしい。生きているって素晴らしい。

私たちは生かされているのです。光の愛よ、もっと輝いてください。

なんときれいなんだろう。何もかも愛だ。愛するって素晴らしい。愛されるって素晴らしい。

私たちはどんな時も一人ではない。孤独などない。

なんと優しいんだろう。この爪、この指、この体、この服、この紙、このペン。何もかもが愛でできていたのに、なんで今まで気がつかなかったんだろう。

こんなに優しさが溢れている。素晴らしい。

私自身がこんなに優しい愛、光でできているなんて。

こんなことってあったんですね。ありがとうございます。

私は、父、母、兄、姉、または全ての人間と一体なのですね。

全ては愛でできている。光が輝いている。

こんなに身近だとは思いませんでした。今まで何をやっていたんだろう。
ここにいる。確かにいる。ありがとうございます。

一生懸命活かします。生かしてくれてありがとう。ありがとう」

でも叔父は最後まで扱いませんでした。逃げている自分がありました。

でも最後の最後で無性に叔父を扱いたくなりました。

その時の思いを表した文章は別紙にご案内しました。

「自分が正しい」「叔父が間違っている」と思っていたのが、叔父も苦しかったと思えたのが不思議でした。

そして「敵なんかどこにもいなかった」「全て自分の頭の中で作り上げた幻だった」と塾長に話すと又、号泣しました。

講座からかえって叔父に「ごめんなさい」と謝り、文章を読み上げました。

かなり失礼な内容なので躊躇しました。

「これは僕の気付きだから、実際Sさんは違うって感じることがあると思う」「違ったら後で違うって言ってください」と前置きをつけて読み上げました。

涙が込み上げてきて、何度も途中で途切れました。

叔父はずっと目をつぶって腕組みをして聞いていました。

そして「その通りだよ」と言いました。

私のほうがびっくりしました。

「今聞いていてドキッとした」「誰にも話すことはないと思っていたけどその通りだよ」と言いました。本当に驚きました。

本当の自分は自分のことはもちろん、人のこともわかるんだと。

真実は一つなんだと。本当の自分は愛そのものなんだと思いました。

それから初めて叔父と三時間に渡っていろいろ話せました。

心を開いたら叔父も心を開いてくれました。

叔父はかつて父との関係に悩み、自殺を計画していた事があったそうです。

「一生誰にも言うつもりはなかったけど、話せてよかった」と言ってくれました。

もう前のようなわだかまりはありません。

叔父にもずいぶん相談できるようになりました。

今では叔父がどんどん仕事を手伝ってくれます。

こんなに頼りになる叔父を長い間憎んできたのです。

一体、私は何をしていたんでしょうか?

「もっと早く気付いていれば」という悔いはありますが、「今からでも遅くない」と思っています。

今では心から感謝の気持ちが自然とあふれてきます。

これはゴールではなく、スタートラインだと自分に言い聞かせています。

大きな自信がつきました。どんどんよくなっています。

今では母も家内も受講して、それぞれ心に溜め込んだ思いをはきだし

感謝の気持ちが溢れだして、いまはとても明るい顔になりました。

また、家内にしかなつかなかった息子が今は私にべったりです

家族がどんどん輝いてくるのはうれしいものです。

きっとこれが父が最も望んだ事なのだと思います。

もう少し遅かったら、私はこの世にいなかった。

そんな実感があります。

改めて、出会いの不思議さ、素晴らしさに感謝しています。

そして僕を助けてくれたのは実は天国の父ではなかったか、天国の祖父ではなかったかと素直に感じています。

「俺と同じ間違いはするなよ」一人で抱え込むなよ」繰り返し見たあの夢は父からのメッセージだったのだと今は思えます。

あれきりあの夢は見なくなりました。

父も安心してくれたのだと思います。

父は自殺未遂の時、自由にならない身体をひきずり、最後の力を振り絞って
物干し台にロープをかけたのです。

そして輪になったロープを前にして寒空に二時間ぐらい逡巡したようです。

何を思っていたのでしょう。

妻が見つけて母が介抱した時、冷や汗をびっしょりかき、言葉を失い、痙攣し、失禁していたそうです。

私はそんな父の体験を追体験したのでしょう。

そうそう。

からだの方ですが、あれほど長く続いた全身の痛みは嘘のように消え去りました。

尿の色も朱色でひどい悪臭があったのが、受講の翌朝、レモン色になり、いい匂いまでするのには驚きました。

もう薬はいらなくなりました。

現実の状態はまだまだ厳しく、一見最悪と思える状況もあるのですが、何があっても、私はもう自殺することはありません。

天寿を全うする。

「私自身が最大の財産」なのですから。

父はいつも私と一緒なのですから。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

私の残りの人生の始まりです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。