1418.どんな人間も天才

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
「人間は全員が天才である」というのが、私の持論だ。特別の人を天才と呼ぶのではなく、全員が天才なのである。天の才能を生かす。既に天から与えられている才能に気づいて、それを自覚した生き方をする人が天才なのだ。

だから、すべての人が天才になれるということになるのだ。特別の人が天才で、他の人は天才ではない、というのは、宇宙の法則を軽んじているとしかいいようがない。

本当は全員、天才なのである。ただ、自分の天才に気づかないから凡才なのである。

人はよく、「意識を高める」という言葉を使う。しかし、その言葉は本当は適切ではない。どんな人間でも、既に意識が高いのである。「意識が高い」ことに目覚めれば良いのである。

では、意識が高いことに目覚めるには、どうすればよいのだろうか。

その方法は意識の高い人と接点を持つことである。そうすれば、自己の中に内在している高次意識が呼び覚まされるから、既に自分自身も意識が高いことがわかるのだ。

ただ、意識の低い人が意識の高い人に突然出会っても、相手が何を言っているのかがわからず、逆に反発する事態も発生する。

やはり、ある程度の段階を経なければならないのだ。その時々の自分の段階に相応した人に会って、徐々に上を目指していくのが大切である。基本的にどんな人でも意識は高いのである。

「共振共鳴」という言葉がある。

例えば、講演会の話を耳にして受講者が感動したとする。このとき、受講者の魂が講師の魂に共振共鳴して、生命活動が活性化する。

だから、受講者は涙を流したり、胸がジーンときたりするのである。

私は、この共振共鳴については、こう考えている。相手に共振共鳴するというのは、自分の命の部分で既に自覚しているものがあるから、共振共鳴するのである。

元々、自覚しているものがなかったら、共鳴できないのである。

存在していないと思っているもの、または、全然存在に気がついていないものに対しては、共鳴しない。

なぜならば、アンテナのない電波のように一方通行になってしまうからである。

だから、相手の話に共鳴したということは、もう既にそこにその話と同じものが自分の中にあったということである。元々あったものが、今ここに呼び覚まされただけにすぎないのだ。

「類は友を呼ぶ」という言葉がある。同じ波長のものは、同じ波長を引き寄せるものである。相手の波長に自分の波長が共鳴するのである。それが、本当の意味で引き出されたことになるのである