1417.死から生を見る生き方

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
私が開発した「真我開発講座」は、「本当の自分」に出会う研修なのだが、全く異なる角度から本当の自分を開発する基本的な二つの手法がある。

時間的全体から本当の自分を開発する「未来内観」、もう一つは空間的全体から本当の自分を開発する「宇宙無限体得」という手法である。あらゆる物事を反対側から見ると、よく見えてくる。

「未来内観」は「死」から「生」を見ることによって、時間の尊さ、命の尊さ、人のありがたさが見えてくるのである。

子どもが親になると親の心が、社長が社長になると初めて社長の心がわかるようになる。

「宇宙無限力体得」は、宇宙の完全な視点からあらゆるものを見る。
宇宙とはまさに私たちの新の実在、つまり「本当の自分」のことである。

私たちは自分の生き方を宇宙の法則・完璧から見たときに、全く違う自分、環境、社会、がそこにあることに気づく。

今まで正しいと思っていた観点、見方が全くひっくり返ってしまうのである。

不完全な眼鏡で完全なものを見ても、不完全にしか見えない。完全な眼鏡で見たときに、不完全に観えていたもののいったいどこが不完全に観えていたのかが明確にわかってくる。

完全から不完全を見る、完全から自分の周りを見る、ということを通して本当の自分を体感するのである。

この研修を受講した人で受講中大変感動し、見事に人生が好転していった実例がある。

後日、手紙をくれた。この手紙を読んで、私も感動し「なるほど」と思った。

素晴らしい手紙なので、読者のみなさんにもぜひ紹介したいと思う。

以下、その手紙である。

拝啓――――

佐藤先生、お元気ですか。

「2日間の研修」受講後、自分の心の中がどんどん変化しているので、ぜひ先生にそのことをご報告したくペンをとりました。

私が二十一歳のとき、兄が死にました。

性格が全く違い、年が四つも離れていたため、私が社会に出るまであまり仲がよくありませんでした。

一緒に飲みに行けるようになりかけたころだけに、兄と別れるということは、相当悲しいことでした。

兄はとても優しい人で、私はいつも無理ばかりいっていました。

注意されると反発ばかりしていました。それなのに、兄はいつも私に優しかったのです。
兄は「マルファン症候群」という大動脈瘤の病気にかかり、一日一日病状が悪化して弱っていきました。

私と妻は毎日病院に見舞いに行きました。

兄の彼女は、兄が経営することになっていた美容院の仕事にばかり時間を使ってあまり見舞いに来ませんでした。

兄は病状が悪化する度に気弱になり、彼女はいつ来るのかと寂しそうにしていました。そうして兄は死にました。

告別式が終わり、兄がほんとうにいなくなったと感じたとき、無性に彼女が許せなくなってきました。

自分だけでなく、部屋にいる全員の心の中にその気持ちがありました。

兄の写真に写っているのは、元気だったころの二人です。

人間がみな、愛でできていて一体だと気づいた今、すべては愛のある愛の行動だということがわかりました。

最愛の彼氏を亡くした彼女と私の気持ちは同じだったのです。私の考えは間違っていました。

彼女は兄の夢であった店を結婚して二人でやっていくことを共通の目標として頑張ってきたのです。

できることならば、あのときの彼女に謝りたい気持ちです。

私の一方的な正義感を押しつけてほんとうにごめんなさい。彼女を傷つけ、二人を中傷してしまいました。

彼女の気持ちを何もわかろうともしませんでした。

自分の思っている、考えていることが一番正しいと思っていたことが恥ずかしい。

これから私は、兄ができなかった仕事、親孝行をしていきます。私は兄の愛を私の心の中で増幅させ、両親に私と兄の愛をあふれんばかりに与え続けます。

母は、兄が死んだころに比べると少し小さくなったような気がします。私のことなら何でもわかってしまう力強かった母。その母の背中が小さく見えるのは寂しいものです。

私はできるかぎりのことを精一杯していくつもりです。私も兄も父も母も妹も妻も子どもたちもすべて一つなのですから。

全体と個、個と全体が融合し合っています。その中で私たち家族は生かされています。

兄は死んでしまったけれども、私たちの心の中では、一つでつながっているのです。そのことを肝に銘じて私は生と死、魂は生きていて私たちと一緒にいることを自覚します。

宇宙には時間も空間もないのですから、兄の魂は今でもこの宇宙の中で共に生きているのです。

兄が亡くなって十年経ちますが、兄は今でも私たちにメッセージを残してくれています。
今、完璧という完全なレベルから自分を見ると自分の生き方が情けないのです。

私はあのとき思い上がっていました。

二十一歳の私が、兄の担当医から親の代わりに病状を聞くとき、親から任されているという自負が自分にはありました。

一人前の男として認められたいという一心で、手術用の輸血の段取りをしたり、親戚を迎えにいったり、ホテルを手配していました。

そのときの自分は「せいちゃんは偉いな」「せいちゃんは頑張っているな」という褒め言葉を期待し、優越感と満足感のために働いていたような気がします。

そんな自分が嫌で、何ヶ月か悩んだこともあります。偽善者を隠していた自分を知り、背筋が寒くなったことがあります。私はとんでもない人間でした。

でも、今この私が愛の固まりであり両親、兄、周りの人々がみな同じ愛であり一体であったことに気づいたことによって、今までとは違った人生を歩むことができます。

兄の死因に病院側のミスがあったとわかったとき、私は医師と大喧嘩をしました。そのとき、母は「先生もいっしょうけんめいやってくれたのだから」と私を制しました。

私の気持ちを知っていただけに母も辛かったはずです。私はあのときの母の気持ちがわかりませんでした。わかっているふりをして大人の真似をしていただけだったのです。

今、自分が親になり、あのときの母の気持ちがはっきりとわかります。あのときの母の愛は今の自分が子どもに向ける愛よりも深かった。

今、自分の子どもにあのときのことが起こったら自分は果たして母のようにできるのだろうか。お母さん、あなたは神そのものです。

息子を死に導いた病院や医師でさえ一体として宇宙的に愛しているあなたは神以外にはありえません。

あなたは体を張って私にその愛を教え続けていたのですね。

偉大な母、ありがとうございます。

私は素晴らしい両親を持ったことに感謝すると同時に、あなたの息子でよかったと心底思っています。

あなたがたと一体である自分が大好きです。

私はこの世にいることをただただ感謝します。

これからは自分を愛し、家族を愛し、地球を愛し、宇宙を愛します。

ああ、なんて素晴らしいのだろう。

頭が心が軽くなってきました。

ものすごく気分がいい。ありがとう。ありがとう。

私は今ものすごく幸せです。

素晴らしい未来が見えてきました。

ありがとうございます。

お兄ちゃん、ありがとうございます。

お母さん、ありがとうございます。

全宇宙、すべての愛よ。

私にこんな気づきを与えてくださり、ありがとう。

私に真理を感じさせてくださってありがとう。

宇宙の真に感謝します。

先生ほんとうにありがとうございました。

お元気でご活躍されますようお祈りいたします。

敬具

私たちは、人間として生きていると自分と相手はみんなバラバラに見える。

しかし、もう一歩深い所に行くと、みんなつながっているのがわかる。兄弟姉妹は肉体的には別々だが、心の世界ではつながっている。

兄弟同士幼いときに一緒に遊んだり、病気になったときに介抱してくれたりと、心が一つに結びついているのがわかるのだ。

それをもっと深いレベルである魂の世界までいくと、親子・兄弟のみならず周囲にいる人たちが別々に存在するのではなく、全部一体であるのに気づく。

心に何の垣根もない世界の存在に気づく。あなたと私は一つである。

まさに「自分と自分以外の人との一体」を自覚するのが、この研修の特色である。

ところが、世間には親子・兄弟のように身近な存在でありながら憎み合い、顔も見たくない、などと我を張り合っているケースが少なくない。

「本当の自分」を体感すると「いやそうではないのだ」ということがわかってくる。

つまり、私自身が兄であり、兄が私自身であることに気づいてくるのである。そのことに気づいた瞬間、受講者は大粒の涙を流して、「ああ、私はあのときあの人になんというひどいことをいってしまったんだろう」といった感情がこみ上げてくるのである。

そして、大きな反省の心が湧きだしてくる。その反省の心の後に大きな愛が湧いてきて、人に対して恨みの念どころか、愛が生じてくる。

このお手紙を頂いた方は、兄と兄の許嫁(いいなずけ)に対して一時憎悪の念を抱いていたが、研修を受けてから、彼らに愛の心が生じてきたとおっしゃっていた。

互いにピタッと一つの心になり、かつてあれほど憎んでいた兄の許嫁のことも、理解することができたそうである。

このように人間の表面を通り越した本当の自分から物事を見ると、普通では考えられないような答えが自分の中から出てくる。

これを奇跡と呼ばずに、真実の自分として受けとめていただきたいと思う。