1391.輪廻転生をどう捉えるか

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
生まれ変わり、あるいは輪廻転生に興味を抱く人がいる。

仏教やヒンズー教など伝統的な宗教ではこの輪廻転生を教えの中で説いている。

私は、輪廻転生を否定するのではないが、生まれ変わりがどうのこうのと振り回される現在風潮には少なからず、疑問を感じる。

人の生まれ変わりについて、様々な人が様々なことをいっている。

しかし、人の前世など、誰の生まれ変わりかが見える能力を持つ人たちは、AさんならばAさんを見ると、それが複数の能力者が見たとして、みんな同じ答えが出るかどうか、それを確かめたらよいのである。

複数の能力者がAさんを見て、みんな同じ答えが出たら信憑性があるかもしれない。

だから、輪廻転生や生まれ変わりを云々するのならば、それがいったいどういう根拠があるのか、何の意味があるのか、明らかにするべきである。

そうでないと、輪廻転生のように見えない世界のことは、ともすると、言いたい放題になってしまうのである。

証拠もないし、調べようもないから、何とでも言えるのである。

最初に述べたように、私は輪廻転生の存在自体を否定しない。

しかし、もし仮に私に生まれ変わりを見る能力が備わっていたとしても、周囲の人には「あなたは誰それの生まれ変わりですよ」なんて、言いたくはないのである。

知ったふりして、言いたくもない。

もしどうしても自分の生まれ変わりを確かめたいとアドバイスを求められたら、複雑の有能な霊能力者と言われる人たちから、見てもらったらいい。

そして同じ結果が出たらば信じてもよい、そのくらいしか、私はアドバイスできない。

輪廻転生をわかりやすく捉えるならば、こう考えたらよい。

例えば、普段私たちが飲んでいる水。

この水は、人類が誕生する以前からあった。この水が蒸発し、雲になり、雨になり、土にもぐり込み、川になり、海になり、また人間や動物、植物の体内に入り込み、あらゆるものに変化していった。

地球上のすべての所に水がある。

コップの水がこぼれて蒸発しても水が死んだわけではない。

地球からいなくなってはいない。

様々な所を循環しながら、また水として再生するのである。

大事なことは、水としてどのようは形で何回地球上に存在したのかということではない。
今、目の前で水として存在している以上、その役割どおりに生かすことである。

これは、人間においても全く同じことがいえるのである。