佐藤康行の言葉をお伝えします。
「一生勉強」などといいますが、表面から多くの知識を詰め込むような勉強は、そろそろ卒業したほうがいいでしょう。
私たちが一生死に物狂いで勉強しても、その知識は九牛の一毛、といわれています。
科学の世界にしても、世界のトップレベルの科学者が、「われわれが研究した結果分かったことは、われわれにはまだ何もわかっていないということだ」といっているように、知識のレベルではたかが知れているのです。
考えてみれば、人間の体一つをとってみてもわかることです。
心臓がどういう機能があって血液のなかには何があって、ということはかなりわかっているけれども、ではどうして人間は心臓を動かせるのかということはまだ何もわかっていないのです。
そもそもどうして人間が生きているかすらまったくわかっていないのです。
宇宙全体からすれば、先端の科学者も小学生も、その知識の量は五十歩百歩だということなのです。
まず私たちはそのことを早く知ることです。
そんなわずかな知識をもとに、私たちは、善悪を判断したり、価値基準をつくったり、常にそんな発想をしています。
問題は、これから先に起こる出来事に対して、過去に勉強したことが本当に役に立つか、ということです。
例えば、歴史を学んでも、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康は、みんな殺し合いをしていたのです。
それが未来の政治に本当に役立つでしょうか?
科学を勉強する。
でもそれは既に証明されたことで、聞けばわかる、それまでです。
もちろんある段階までは必要でしょう。
しかし、特に日本では、年をとってもただ知識を入れるという学校の勉強的な発想で終わってしまう人がほとんどです。
日本からノーベル賞学者がほとんど生まれないのもそのためです。
「学ぶ」という発想から抜けきらない。
「創造する」という発想が弱いのです。
外からたくさんの知識を入れなくても、もともと自分のなかにすべてを見通す目、すべてを聞き通せる耳、すべてを読み取れる心、があるのです。
万能なのです。
それを発揮するには、心の奥を開発するしかないのです。