1148.自分で自分は変えられない

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。因と縁「自分で自分は変えられない」

【捨てる哲学】」

についてです。

それでは、

「捨てる哲学」を、

単なる頭の世界でなく、

行動に移すためには

どうすればいいのだろうか?

まず、

「自分で自分は変えられない」と

いうことを自覚することなのです。

なぜか?

泥沼の中で

泥を洗い流すことは出来ないのです。

コップに入った水を

変化させようとする時、

それと同じ水を

いくら混ぜても、

コップの水は変わらないのです。

それと同様に、

同じ心で

同じ心の中は

変えられないのです。

いくら考えたって

同じ心なのだからです。

では、

それを変えるには

どうしたら良いか?

それが、

ギアチェンジなのです。

ギアチェンジと言うのは、

例えば

自分を回している

歯車があるとします。

その歯車を変えることです。

違う歯車に

かみ合わせた時に、

違う回転が始まるのです。

それは、

誰か他の人の影響、

つまり、

「縁」なのです。

「縁」によって

変わっていくのです。

今、

この話も、

私のブログとの「縁」によって

あなたは

変わる事が可能なのです。

あなた一人で考えたって、

なかなか

「捨てる」発想には

ならないはずです。

「縁」によって、

ギアチェンジが出来るのです。

そして、

ギアチェンジしたところから、

素直に出発していけばよいのです。

そうすれば

行動は変わるのです。

あなたは、

その「縁」を掴むために、

能動的に会いに行く必要があります。

あなたは、

考えることを一度止めて、

行動を先にすると良いのです。

その先を

あまり考えないことです。

「この人とあって

この先どうなるのだろう?」などと、

余計なことは考えないことです。

つまり、

考えないで

会いに行くことをおすすめします。

まず、

会ってから、

その状況の中で判断し、

考えていくのです。

どんな考えも

すべて「妄想」と言えます。

「こーなるんじゃないか」

「あーなったらどうしよう…」云々

考えてしまうのは、

自分一人の

作り事の考えに過ぎないのです。

「縁」は何も、

人だけではないのです。

本もテレビ番組も、映画も、

いや、

目に写るもの全て「縁」なのです。

全部「縁」なのです。

あなたが、

日本に生まれたのも

「縁」です。

人間として生まれたのも

「縁」。

地球に生まれたのも

「縁」。

そして、

あなたが自分と出会ったのも

「縁」なのです。

「縁」には

「直接縁」と

「間接縁」があります。

「直接縁」は自分自身です。

「間接縁」は外部です。

つまり、

あなたの目に映る世界、

外界です。

別の言い方を言うと、

自分自身の場合は、

「因」と言っても良いのです。

「因」と「縁」と言う

言い方もできます。

自分が「因」。

間接が「縁」。

植物で言うなら「因」は種です。

そして、

太陽・水・土・肥料という

「縁」によって花が咲くのです。

種を、

テーブルの上に放置しておいても

花は咲かないのです。

因縁というのは、

このことです。

この世のあらゆるものは、

そのものひとつで

なりたった個体的なものは無いのです。

何かが寄り集まって

出来ているのです。

人間ひとつとっても、

いろんなものが寄り集まって

できているのです。

水分があったり

たんぱく質があったり、

いろんなものが寄り集まって

出来ている存在であって、

特定のものではないのです。

固定的なものは

ひとつも無いのです。

仮に、

あるとしても、

こちらに見る目が無ければ、

無いのと同じなのです。

また、

自分がそれを認める心が無いと、

感じ取ることも出来ないのです。

五感がなければ、

感じ取れないのです。

つまり、

対象があって

初めてそのものがあると

存在できるのです。

それを仏教で言うなら

「縁起」と言うものです。

「縁起」というのは、

個体的なモノは無い、

といういろいろなモノが

寄り集まったものの存在であって、

全部

「縁」の塊だということなのです。

例えば、

あるAさんという人のことを、

いろんな人があらゆる角度から見ると、

それぞれ全て違うのです。

人によって

全部評価が違うのです。

悪口言う人がいるかもしれないし、

Aさんは素晴らしい人だ、

って言う人もいるかもしれないし、

全部、

その人の見る次元によって

それは違うものになるのです。

地球上に70億人の人がいたら、

この評価は70億通りあるのです。

つまり、

この場合、

あるAさんという実体は

ひとつの固定化したものではない

ということなのです。

また、

そのAさんを、

仮に一千倍の顕微鏡で見たら、

人間の目で見たのとは違うし、

一万倍でみた、

百万倍で見たら…と、

倍率を上げていったら、

全く違うものに見えるのです。

細胞の塊と

言っても良いし、

遺伝子の塊と

言っても良いし、

たんぱく質だとか、

水分だとか、

「因」そのものも無限なのです。

「縁」つまり

他人から見たものも無限なのです。

だから、

あなたが、

自分のものと

思っているものは錯覚なのです。

自分の土地なんて言ったって、

一体何が自分の土地なのか?

それは

地球の土地であり、

宇宙の土地なのです。

「“自分のもの”と思っているもの」に

過ぎないのです。

自分の物なんて無い。

しかし、

全部自分のものでもあるのです。