佐藤康行の言葉をお伝えします。
真我は愛であり全ては一つであり永遠の命であり無限の力である。
そういうものが前提な訳です。
真我を訳すとね。
まず自分の心の中で、たとえどんな事を言っても確実にその人には、真我の心が一番根底にあるんだと思って聞くのと、そうじゃなくて人の悪口言ってばっかりいる人聞だとして聞くのとではどうですか?
そうしたら、何ていう人だろうって裁く心がでてきてしまうでしょ。
そうならない為に真我だけを見るんです。
真我だけを見たらもしその人が人の悪口ばっかり言ってても全然その悪口には聞こえなくなりますから。
あーこの方救われたいんだなとかね。
自分の事が分かって欲しいんだなとかしか聞こえなくなってきますから、耳に。
悪口を悪口として聞こえなくなるんですよ。
そうすると皆さん本当に相手に吞まれないっていう事です。
悪口しか聞こえなかったら途中で多分カウンセリングやるの嫌になってしまいます。
嫌になってしまうか、自分も巻き込まれて自分も一緒に悪口言ってしまう。
そんな事あり得ます。
それか、そのままマインドコントロールされてしまうか。
真我だけを見てたら絶対にされないんです相手に。
マインドコントロールされない訓練でもあるんですから。
真我は真理だから、マインドコントロールっていうのは架空の世界ですから、ただ何回も詰め込まれるとそう思い込んでしまう所がある人間は。
嘘でも何回も聞かされると、そうだと思ってしまう可能性がある訳です。
そういう事です。
とにかく真我を見るようにするっていう事です。
口に出なくてもこの人は間違いなくそうだ、愛を求めているんだという前提で捉えるんです。
今おっしゃっている事は全部愛を求めている行為なんだと。
それを自分の中で確信のように思っていればいい訳です。
だって皆さんそうじゃないですか。
私何万人もやったけど、こうやって真我を開発すると、どんな人の悪口言ってても最後は殆ど、真剣にやっている方はみんな一瞬の内に吹っ飛んでって、愛だったんだ感謝だったんだってなっていくじゃないですかね。
どんな人もそうだっていう事なんです。
それが前提なんです、絶対。
わかりますね、そういう事なんです。
カウンセラーは本当にそうだという事を、確信をもっていれば後から言葉は色んな風に出てきます。
あなたの中で確信をもっているか、持っていないかっていう事が大事な訳です。
持っていたらこの人は愛の人だっていう前提で話が出来る訳です。
たとえばキリスト教で罪を憎んで人を憎まずっていう言葉があります。
罪っていうのは後から付け加えたものなんです。
真我っていうのはみんな愛の人なんだっていう前提でやる事なんです。
ここで分かったって何が分かったっていうと、相手が救われた事が分かってきたっていう事なんです。
目的は自分が理解する事ではないんです。
相手ですよ。
あなたが聞き役になって相手の方が救われてきたらその事が成功な訳です。
自分では成功したような気分にならなくても相手が救われていたらいい訳です。
目的が全然違う訳です。
あなたが分かる事ではない。
手を上げて説教的になった瞬間からこうなる訳、頭で考えていたら違う訳です。
ようするにこの人を何とかお役に立ちたいという心が大事な訳であって、あなたが何か頭で分かる事ではない訳です。
そんな訓練じゃない訳です。
その心があればいい訳です。
何も言えなくてもいいんです。
何とかこの方にお役に立ちたいという気持ちでいいんです。
考えて理屈をいう事ではないんです。