2076.満月理論46

真我日記

 

写真はビーフステーキです。お肉大好きなら旦那さまに喜ばれます。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【全体から個にむかう 3】===================

先ほどの三日月と真ん円の月の話で、仮相が消えたときに、何か自分の財産を失ってしまったような、寂しい気持ちになってしまう場合があると言いました。

 

仏教には「無一物無尽蔵」という言葉があります。

 

すべてを手放したときにすべてが手に入るという意味の言葉です。

 

私の財産はこれだけと固定化すれば、確かにそれは財産かもしれませんが、それ以外は財産ではないということになります。

 

私の友人はここからここまでの人とすれば、その枠以外の人は友人ではないということになります。

 

その「ここからここまで」という枠の認識を手放す=目覚める(すべてを手放す)と、すべてが一つ、すべてが一つの世界、すべてが友人・仲間、つまりすべてが財産になるのです。

 

自分の周り、日本、地球、宇宙すべてが財産になるのです。

 

私の言う大前提とは、この地球上にある、宇宙にあるすべてのものが、財産であり友人ということでもあります。

 

それも最初から、そしてそこから出発するのだと言っているのです。

 

つまり全体から個に向かっていくということです。

 

自分の周りから友人を広げ世界に広がっていくという個から全体に向かっていくのではない、最初から全体、そして個に向かっていくのです。

 

あの太陽も月も全部私の財産、初めて会った人もまだ会ってない地球上の人もみんな友人、私の故郷はこの地球、この宇宙ですと。

 

最初から真我は無限であり、永遠不変、完全完璧、神、仏、宇宙であり、すべてと一つ、すべての人が友人であり、すべての人が命として一つなんだと。

 

さらに、あの月も太陽も星も、雨のひと粒ひと粒も全部この命を育んでくれる大切な大切な宝だと、目では認識できないけれどこの空気も、酸素も二酸化炭素も全部宝だったと。

 

それは、私たちが物事の本質を知るために何かを気づかせてくれている大切な宝なんだということです。

 

あなたが心の病やガンになろうがそれもすべて宝。

 

あなたに何かを気づかせてくれる宝、黄金なのです。