853.自分他人はない2

佐藤康行の言葉をお伝えします。

国境・人種など最初からない
についてです。

人間関係に関する
あらゆる問題は
〃線引き〃から由来します。

私とあなた、自国と他国。

このように、
二つの存在を
明確にわけることから、
諸悪は始まります。

善悪、明暗。

このように、
何でも二つに分けて、
そして相違点を
突き詰めることから
すべての争いは
始まるようです。

こういうところに、
小さいエゴは顔を出してきます。

自分が正しく、
相手が間違っている。

私は部長であの人は係長、
だから私のほうが偉い。

私は一流大卒、
彼は二流の無名校卒、
だから私の方が格が上。

とかく人は、
こうした差別をつけて、
他人と自分を分けて考え、
自分をより優位な位置に
置きたがります。

けれども、こんなことに
どれだけ意味があるでしょうか。

物事を分けて考える本場は、
西欧人です。

思想、宗教、国境。

こうしたことで
人と自分を区別し、
争いを繰り返してきました。

とくに人種差別は
多くの悲劇を生んできました。

このように、
区別すること事態に
喜びを感じてしまうのが、
人間の業とでも
いうべきかもしれません。

しかし人間は、
その原点を見つめれば、
みな一緒なのです。

真我から見れば、
誰もが大海の波に過ぎません。

それを、
この波が優れている、
この波は劣っている、
などということは
あまりに無意味です。

地球には多くの国家がありますが、
しかし宇宙ロケットから見たら、
ただ一個の地球が宇宙空間に
浮かんでいるだけです。

国境など、まったく人間が
地図という紙の上で引いた線
にすぎないことがわかります。

日本のような島国ですら、
海の水を抜いてしまえば
他の国と地続きです。

やはり、国家とは
人間が便宜上作った概念なのです。

国境にこだわり、
人種にこだわり、
宗教にこだわっている限りは、
真我は現れません。

すべての線引きを捨ててこそ、
心の中に永遠の真理が
浮かんでくるのです。

そして、こうした思考は
西洋より東洋が、
それも日本人が得意
なのではないかと思われます。

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