写真は夫が誕生日のお祝いに私の大好きな回鍋肉を食べに連れて行ってくれました。とても美味しかったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【YSメソッドの急所】
プロカウンセラーという言葉だと、その辺にあるカウンセラーをどうしても彷彿させる。
私がそういうのをやりたいわけがない。
とにかく、究極を極めていく。
人間を救う。
例えば、究極をというのは簡単に言うと、仏陀が言った「生老病死」、
この四つの苦しみから解放されなきゃいけない。
生きていく苦しみ、老いる苦しみ、そして病気の苦しみ、それから死の苦しみ。
当然、世の中にいるカウンセラーが、
お釈迦さんが言った四つの苦を救えるような手法を持ってるわけがない。
本来それは宗教の仕事のはずなんだけど、
宗教も本当にそれをやってるところがどれだけあるか、大変疑問ですよね。
でも、人間を救うということに関しては、同じなわけです。
宗教であろうが、医療であろうが、カウンセラーであろうが、何であろうが、
人間がこの世に生まれてきて、本当に快適に素晴らしく生きれるようになるということ。
生きる苦しみ。
「生きる」も仏陀は苦しみに入れてるわけです。
なんで苦しむかっていうと、人間の心が苦しめてるわけ。
皆さんの先祖から来た因縁だとか、育ってきた環境だとか、
社会状況だとか、常に苦しみが待ってるわけです。
昔から戦争があるし、貧困で苦しんだり、病気で苦しんだり、人間関係で苦しんだり。
生きていて本当は幸せで楽しいはずなのに、生きてること自体も苦しい。
で、人生を終えちゃう人もいっぱいいます。
生まれてからほとんど苦しみだけで終えちゃう人もたくさんいます。
そういうのをどう救うことができるか。
「老」は老いることです。
これは生まれた時は、赤ちゃんは肌もピチピチして、マシュマロのような肌ですけど、
年と共にどんどんしわが寄ってきて、どんどん老いてくるわけ。
普通、未来にいいものを描こうと言ってるけど、片一方ではどんどん年を取って、
じいさん、ばあさんになっていく。
若い時のピチピチした姿から、見る影もなくなっていく方向に向かっていく。
普通からいくと、生命からいくと、夢も希望もないってことになっちゃいますね。
年取っていく一方なんだから。
どんどんしわだらけになっていくんですから。
それは現代医学や科学では、指一本触れることができない。
解決策はない。
病気はどうかというと、大変な医療は発達してるけど、
今の医療がどれだけ増えても、どんどんそれ以上に新しい病気が増えてきます。
まだ完全にがん一つ治せるうちに入らない。
病気そのものを抹殺することはできない。
さらに、さらにどうすることもできないのは死です。
全く完璧にどうすることもできません。
死ぬということは、仏陀の言った、最もこの四つの苦を救わなきゃいけないのに、
人間は本当にそこに手を付けているのか。
手を付けて、ちゃんとそこをやってると言えるのか。
同じ発展させるなら、そういうとこに手を付けなきゃいけないはずですね。
人間の苦しみですよ。
そこのところが、まさに私のテーマでもあって。
30年来のテーマなんですよ。
結論的には、人間は肉体や、考えてるこの心が自分だと思ったら、
どんなことをしても救うことができないという結論なんですね。
私は30年近く真我開発、真の我を開発することをやってます。
人間は肉体でもないし、考えてるこの心でもない。
真我こそ本当の自分だということを悟ったら、
今言ってる四つの苦は全部解消されるわけです。
それしかないという結論に達したんです。
何でも遠慮なくいいますけど、真我は神の心です。
仏教的に言うなら仏心、仏の心です。
これは完全なる自分。
言葉を換えるなら、愛そのものの自分だから、生きてることが楽しい。
真我は年を取らない。
永遠の命ですから。
真我は病気しない。
肉体は病気するけど、真我に病気はない。
真我だから。
真我が病気するわけがない。
真我は死なない命。
これをいかに悟るか。
これで私たちの苦しみから解放されていくわけです。
これを普段からいかに悟ることができるかということなんです。
この講話では、遠慮なくYSメソッドの真髄を話されています。
ここで佐藤先生の使われる言葉の概念は、
それを受け取る側の認識によって、様々な解釈ができます。
それは、受け取る側の過去の記憶の範囲での理解に過ぎません。
佐藤先生は、これまでに存在していなかった、常識破りの「マジックミラーの法則」など、
いわゆる人類史上前例のないものを開発しつづけてきているため、
聞く側としての理解が、やはり、過去の記憶による価値観での認識の範疇に、
とどまってしまう可能性を秘めています。
「マジックミラーの法則」の具体的な実践法として「神技カウンセリング」がありますが、
その根本のアプローチには、常識では測れない驚愕の意味合いが存在しているのです。
この続きは、また明日です。