1870.この道を選んだわけとは?

真我日記

【生命(いのち)の源である真我のカウンセリング】
皆さんがいるでしょう?

皆さんの父母がいるでしょう?

あなたの父母の両方に、また親がいるわけです。

ずうっと、親のまた親がずっといるわけ。

だいたい10代ぐらいさかのぼると、30億人ぐらいになるらしいですよ。

ずうっと、これの全部因縁を背負っているわけですよ、あなたは。

それと、これは前世だと思ってください。

先祖と前世の因縁を背負ってきてるわけです。

前世の生まれ変わりの中の因縁を背負ってきてる。

あなたは前に進まなきゃいけない。

生きていかなきゃいけないわけです。

皆さんの性格だとか、心だとかそういうのは、これを全部何とかしなきゃいけないわけです。

これは何百の生まれ変わり。

これは何十億の先祖です。

こういうものを背負って生きてきてる人に、何か教えて変わると思いますか?

どうですか?

「あんた、こうしなさい」と言って変わると思います?

変わると思う方?

じゃ、どうしたらいいでしょうか。これを。

何百の生まれ変わりと何十億の先祖の因縁です。

前世の因縁と先祖代々の因縁を背負ってあなたがいる。

生きていかなきゃいけないわけです。

人間の性質は変わらない。

普通からいくと変わらない。

要するに、それを解決できるのは真我しかない。

真我の中にはそういう因縁は一切ない世界だから。

だから、私は真我にしかこだわらない。

真我しかやらないんです。

他のできないことはやるつもりは一切ないです。

真我にはそういうものはないんです。

ここに、何億年からの洞穴の暗闇があったとするでしょう?

こっちに昨日できた暗闇があったとする。

昨日できたいろんな機能の因縁と、何万年前の因縁と、何億年前の暗闇と昨日できた暗闇。

上から光を当てたらどうですか?

全く同じでしょう?

そういうことなんです。

真我の目覚めは、あなたがどんな因縁を持っていても、それには犯されないわけです。

「真我、真我、真我、真我」と言ってるのはそういうことです。

そして、真我を意識し出すと、アセンション、次元が変わってくるわけ。

次元が変わると、先祖代々のいい因縁が飛び込んできたり、
前世のよくない因縁で生きてきたとしても、次元が変わると、
よりいい因縁が、類は友を呼ぶで、過去世のいい因縁があなたに取りつくわけです。

過去も先祖も全部含めた同じようなエネルギーで引き寄せるからです。

それで運命、人生が変わってくるわけです。

YSカウンセラーというのは、普通のカウンセラーとは全く別物です。

カウンセラーなんて言葉じゃおかしいぐらいです。

でも真我、真我のカウンセラーです。

それでなきゃ解決できないです、人間の因縁は。

そういうことなんです先祖代々と前世の因縁。

そこに「真我の実践、真我の実践」ってのは、それでも出てくるから、
リセットリセットしていくことによって、変化していくということなんです。

それは最初から、もちろん知ってましたよ。

それに命懸けてやるしかないんですよ、これは。

それぐらいのレベルのことですから、全て投げ打ってやらなきゃいけないものなんです。

それは、私は最初から分かってました。分かってたから、

レストラン何十店舗もあっても、いち早く手放したんです。

こんなこと、ちょっとでもやってる暇はないと。

こんな偉大なことを私は天から任されてやってるんだから、
他の私の欲なんか出してる暇はないと。

全てこれに命をささげようと思ってやってるんですよ。

それは一貫して変わらないですよ。

それぐらいのことをやってるんです。

真我は愛であり、真我は光であり。

だから、ただリセットするだけじゃなくて、愛に変わっちゃうわけです。

全て愛。

全て真我から見ると、全部真我の愛なわけです。

あなたは真我の愛として捉えたら、今起きてることも全部納得するんです。

人間愛じゃない。

真我の愛。

全てあなたのよいと思われることも悪いと思われることも、
あなたの器の中でよいとか悪いとか言ってるだけなんです。

あなたの過去の記憶の中でいいとか悪いとかって言ってるだけなんです。

人間はどこまで行っても自分の観念でしか捉えられないから、
まず最初に真我の愛として大肯定するんです。

そこから物事を見るんです。

起きることは全部大肯定なんです。

そうしたら、大肯定の方向になってくるんです。

心というのはそういうことなんですね。

自身が開発したYSメソッドを、日ごと日ごと進化させ続けている佐藤先生の
表現に全くとらわれない、遠慮のない講話です。

このYSメソッドのカウンセリングは、
「カウンセリング」と名のつく「人間再生メソッド」とも言えます。

ことごとく常識を覆す法則の数々は、神技とよばれる奇跡そのものを、
常識にしてしまうほどの可能性を秘めていると言えるでしょう。

その極意をこれからさらに見ていきます。

ではまた明日。