写真は桜の下で食べたお花見弁当です。青空のもとで食べる鰻弁当最高でした。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【佐藤先生の神技カウンセリング】
では、佐藤先生はどのようにされるのでしょうか?
いかなる場面でも、状況でも、どこにも「犯人がいない」のです。
その場にいる人全員が、
「真我であり、愛そのものであり、完全、完璧の存在である」というところから1ミリぶれることなく進めていかれます。
子供が両親を責める場合には、
言っている本人を決して否定することなくその思いを認めながら、
両親がいかに子供のことを愛しているのか、
また本人がいかに愛に溢れた存在なのかを返していきます。
また、両親が子供を責めるような場合には、ご両親がどれだけ子供を愛していて、
ご自身もどれだけ愛に溢れているのかを返していきます。
このやり取りを聞いていると、「誰も責められていないし、それどころか、みんな素晴らしい愛の人だ。問題は何もなく、ただ愛の表現が違っているだけだ」という感じになっていくのです。
すると、みるみるうちに、ご家族全員の方が変化されていかれます。
深いところで、「認められた、分かってもらえた、愛に溢れていた」と感じられることで、
責めている人も責められている人も、いつの間にか、嬉しくなっていくのでしょう。
その場で、完全に問題が消えてしまう場合も多々あります。
その家族の全員が、全く矛盾なく「問題に対する見方」が変わっていくのです。
すると、どうでしょう、
ご両親から、「私たちに原因があったのかもしれません、どうしたらいいでしょうか?」という言葉が出てくるようになったりするのです。
他人事が、自分事になり、自ら次へのステップに行かれたりします。
佐藤先生は、「人の言動、行いは愛を求める叫び」ということを見事に表していかれます。
実は、ご両親たちは、自分も同時にカウンセリングをされているとは、
ゆめゆめ思っていない場合がほとんどでしょう。
【習得のポイント】
この佐藤先生の複数のカウンセリングのケースから、学ぶものは、
やはり「答え」から出発するアプローチをどこまでぶれずに行えるかと言うところです。
佐藤先生の場合は、「答えしか見えない」そのようにしか見えないため、
カウンセリングという場面に限らず、ごく普通に話をしていても常にそれが可能です。
私たちは、特に複数の場合には、目の前で、当人同士のやり取りを目の当たりにすると、
どちらかの立場に立ってしまうケースや、
どうしても犯人探しに陥ってしまったりしまいがちです。
ここのところは、私たちというより、私自身の反省でもありますが....
はやり、常に大前提で見ることができるまで、形から入ることが必須になると言うことですね。
心からと、形からの両面です。