2582.これができれば超一流!

真我日記

写真は桜の下で食べたお花見弁当です。青空のもとで食べる鰻弁当最高でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【佐藤先生の神技カウンセリング】

では、佐藤先生はどのようにされるのでしょうか?

 

いかなる場面でも、状況でも、どこにも「犯人がいない」のです。

 

その場にいる人全員が、

「真我であり、愛そのものであり、完全、完璧の存在である」というところから1ミリぶれることなく進めていかれます。

 

子供が両親を責める場合には、

言っている本人を決して否定することなくその思いを認めながら、

両親がいかに子供のことを愛しているのか、

また本人がいかに愛に溢れた存在なのかを返していきます。

 

また、両親が子供を責めるような場合には、ご両親がどれだけ子供を愛していて、

ご自身もどれだけ愛に溢れているのかを返していきます。

 

このやり取りを聞いていると、「誰も責められていないし、それどころか、みんな素晴らしい愛の人だ。問題は何もなく、ただ愛の表現が違っているだけだ」という感じになっていくのです。

 

すると、みるみるうちに、ご家族全員の方が変化されていかれます。

 

深いところで、「認められた、分かってもらえた、愛に溢れていた」と感じられることで、

責めている人も責められている人も、いつの間にか、嬉しくなっていくのでしょう。

 

その場で、完全に問題が消えてしまう場合も多々あります。

 

その家族の全員が、全く矛盾なく「問題に対する見方」が変わっていくのです。

 

すると、どうでしょう、

ご両親から、「私たちに原因があったのかもしれません、どうしたらいいでしょうか?」という言葉が出てくるようになったりするのです。

 

他人事が、自分事になり、自ら次へのステップに行かれたりします。

 

 

佐藤先生は、「人の言動、行いは愛を求める叫び」ということを見事に表していかれます。

 

 

実は、ご両親たちは、自分も同時にカウンセリングをされているとは、

ゆめゆめ思っていない場合がほとんどでしょう。

 

 

【習得のポイント】

この佐藤先生の複数のカウンセリングのケースから、学ぶものは、

やはり「答え」から出発するアプローチをどこまでぶれずに行えるかと言うところです。

 

佐藤先生の場合は、「答えしか見えない」そのようにしか見えないため、

カウンセリングという場面に限らず、ごく普通に話をしていても常にそれが可能です。

 

 

私たちは、特に複数の場合には、目の前で、当人同士のやり取りを目の当たりにすると、

どちらかの立場に立ってしまうケースや、

どうしても犯人探しに陥ってしまったりしまいがちです。

 

ここのところは、私たちというより、私自身の反省でもありますが....

 

 

 

はやり、常に大前提で見ることができるまで、形から入ることが必須になると言うことですね。

 

心からと、形からの両面です。