写真は佐藤康行先生の新刊、太陽の法則です。心のモヤモヤがスッキリ晴れる究極のカウンセリングです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【2つの愛】
では、「愛=ひとつ」は、この私たちが知っている「愛」とは違うのでしょうか?
佐藤先生は、違うと言われます。
通常私たちが使う「愛」というのは、「情愛」であることが多いはずです。
「情愛」を国語辞典で引くと、「いつくしみ愛する気持ち。深く愛する心。なさけ。愛情。」と出てきます。
私たちは、「愛」というのを、人や出来事を通して感じるものです。
その中で、「これは、愛だけど、これは愛じゃない」というように感じることはないでしょうか?
「このことに関しては、愛を感じる。
しかし、この出来事はとてもじゃないが愛とは思えない....」
「この人には、愛を感じるけど、あの人の存在は愛なんかじゃない...」
さらには、同じ人を対象にしていても、人によって感じ方が違います。
人によって違うように感じられる愛。
これが認識の愛。
その「愛」と感じる基準は、「過去に記憶」に基づいています。
ゆえに、「愛」という表現は通常の場合、そのほとんどが五感で感じる「相対の愛」を意味することになってしまいます。
つまりは、相対の愛とは、人間の愛です。
「愛=ひとつ」の愛とは、人間の五感で感じる「相対」を越した「絶対」です。
「愛=ひとつ」は、「絶対の愛」。
これは、生命(いのち)という観点から見ると、人類を含めたあらゆる生命体、宇宙のはるかかなたの生命体も全て同じであると、佐藤先生は言われます。
これは、私たちが認識する人間の愛ではないことになります。
五感で捉えることのできる愛で、その「絶対の愛=ひとつ」に、最も近いのが、「親の無償の愛」だといわれます。
この親の無償の愛をきっかけに、絶対の愛に気づいていくのも、YSメソッドのポイントになっているところです。
「相対の愛を偽満月」、「絶対の愛を真満月」とすると、実は、絶対の愛しか存在していないということになります。
先の、
「このことに関しては、愛を感じる。
しかし、この出来事はとてもじゃないが愛とは思えない....」
「この人には、愛を感じるけど、あの人の存在は愛なんかじゃない...」
というように、三日月、偽満月に見える愛を、「愛=ひとつ」を前提に解いていくと、必ず「愛=ひとつ」が現れてくる。
「あの出来事も、あの人もみんな愛だったんだ!みんな愛としてひとつだったんだ。」と気づくことができるわけです。
三日月、偽満月に見えるところを真満月という前提で押し通していくと、やがて真満月が現れてくる。
「反対側」から見るというのは、「愛=ひとつ」という前提であらゆるものを見ていくということになります。
これが、佐藤先生の満月理論の核心の部分といえるところです。