2057.満月理論27

真我日記

 

写真は佐藤康行先生の新刊、太陽の法則です。心のモヤモヤがスッキリ晴れる究極のカウンセリングです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【2つの愛】

では、「愛=ひとつ」は、この私たちが知っている「愛」とは違うのでしょうか?

 

佐藤先生は、違うと言われます。

 

通常私たちが使う「愛」というのは、「情愛」であることが多いはずです。

 

「情愛」を国語辞典で引くと、「いつくしみ愛する気持ち。深く愛する心。なさけ。愛情。」と出てきます。

 

 

私たちは、「愛」というのを、人や出来事を通して感じるものです。

 

その中で、「これは、愛だけど、これは愛じゃない」というように感じることはないでしょうか?

 

「このことに関しては、愛を感じる。

しかし、この出来事はとてもじゃないが愛とは思えない....」

 

「この人には、愛を感じるけど、あの人の存在は愛なんかじゃない...」

 

さらには、同じ人を対象にしていても、人によって感じ方が違います。

 

人によって違うように感じられる愛。

 

これが認識の愛。

 

その「愛」と感じる基準は、「過去に記憶」に基づいています。

 

ゆえに、「愛」という表現は通常の場合、そのほとんどが五感で感じる「相対の愛」を意味することになってしまいます。

 

つまりは、相対の愛とは、人間の愛です。

 

「愛=ひとつ」の愛とは、人間の五感で感じる「相対」を越した「絶対」です。

 

「愛=ひとつ」は、「絶対の愛」。

 

これは、生命(いのち)という観点から見ると、人類を含めたあらゆる生命体、宇宙のはるかかなたの生命体も全て同じであると、佐藤先生は言われます。

 

これは、私たちが認識する人間の愛ではないことになります。

 

五感で捉えることのできる愛で、その「絶対の愛=ひとつ」に、最も近いのが、「親の無償の愛」だといわれます。

 

この親の無償の愛をきっかけに、絶対の愛に気づいていくのも、YSメソッドのポイントになっているところです。

 

「相対の愛を偽満月」、「絶対の愛を真満月」とすると、実は、絶対の愛しか存在していないということになります。

 

先の、

「このことに関しては、愛を感じる。

しかし、この出来事はとてもじゃないが愛とは思えない....」

「この人には、愛を感じるけど、あの人の存在は愛なんかじゃない...」

 

 

というように、三日月、偽満月に見える愛を、「愛=ひとつ」を前提に解いていくと、必ず「愛=ひとつ」が現れてくる。

 

「あの出来事も、あの人もみんな愛だったんだ!みんな愛としてひとつだったんだ。」と気づくことができるわけです。

 

三日月、偽満月に見えるところを真満月という前提で押し通していくと、やがて真満月が現れてくる。

 

「反対側」から見るというのは、「愛=ひとつ」という前提であらゆるものを見ていくということになります。

 

これが、佐藤先生の満月理論の核心の部分といえるところです。