1995.過去は自由に変えられる5

真我日記

 

写真は挽肉と厚揚げの炒め物です。大根と白菜も良い味出してくれました。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【昨日からの続きです】

実は、YSメソッッドの「過去を変える」観点には、これまで見てきたポイントのほかに、さらに常識を凌ぐ急所中の急所が存在します。

 

それは一体何なのか?

 

 

「過去を変える」と言う場合には、「変えたい過去」あるいは「変えるべき過去」があるという事になります。

 

そして、その「変えたい過去」「変えるべき過去」に焦点をあて、アプローチをしていきます。

 

ここで言う「変えたい過去」「変えるべき過去」は、事象そのものではなく、その印象、認識であると言うのは、検証済みのところです。

 

ここまでは、見てきたとおりです。

 

では、どうやって、「変えたい過去」「変えるべき過去」を変えるのか?というところです。

 

実は、ここからが重要になります。

 

それは、完全に常識を覆すアプローチなのです。

 

一口に表現すると、「変えたい過去」「変えるべき過去」に焦点をあてるにもかかわらず、実際には、そこには直接焦点を当てることはしないアプローチをするのです。

 

「変えたい過去」というのは、ある事象における感情や印象、認識ですが、それにフォーカスしないのです。

 

これは、どういう事なのでしょうか?

 

いくつかある心の法則の中に、「認めたものが、存在する」という法則があります。

 

これは、「苦しみを認めれば、苦しくなる」「楽しみを認めれば、楽しくなる」ということです。

 

その反対に、「認めなければ、存在しない」と言えます。

 

病をはじめ、恐怖、不安、心配など、認めなければ、現れないことになります。

 

たとえば、幼少時の親の厳しいしつけが恐怖になり、それがトラウマになって、自分を責めたり、人を責めたりしている人がいるとします。

 

この場合、トラウマと言われるほどの恐怖が記憶となっています。

 

YSメソッドで、この過去を変えるアプローチをする場合、それはきっかけにするだけであって、その恐怖にフォーカスするのではないのです。

 

では、どこに焦点を当てるのでしょうか?

 

その人の「実体」に焦点を当てるのです。

 

過去を変えるのに、過去の記憶にフォーカスするのではなく、その人の実体にフォーカスするのです。

 

その人の実体とは、本当の自分、集合的無意識そのもの、まさに生命(いのち)の源の自分です。

 

その実体に焦点を当てることにより、過去が変わると言うわけです。

 

これが、佐藤先生の開発されたYSメソッドの急所なのです。

 

まさに奇想天外のアプローチ。

 

「過去は自由に変えられる」という事が、本当に現実になっているのです。

 

続きは、また明日です。