1966.この講話がポイントです11

真我日記

写真は唐揚げ弁当です。唐揚げ美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

 

【講話9】

 

自分の為に出すパワーも、皆さんの為にだすパワーもスイッチを変えればいい訳です。

 

そういう事です。

 

今やる気すれば出来そうな雰囲気を皆さん感じてるんだと思います。

 

言い方が変わってると思います。

 

だから夫や子供の話を正面にぶつかっていって聞いてあげればいいんです。

 

なんて言われようが一回やってみたらいいじゃないですか。

 

今まで自分で勝手に線を設けて、その線を破って見ればいいじゃないですか。

 

今までお互いに自分の事を考えた線ですから、自分の事を考えた線がなくなるわけ、これで。

 

境界線が無くなる訳です。

 

そうしたらその瞬間に近寄っていって出来る訳。

 

だってどんなに相手が自分の事を嫌ったっていいんですよ。

 

自分は自分の為にやっているんではなくて、この人の話を聞こうとか、この人の為になろうとしているんだから全然エネルギーが違う訳です。

 

それにどこまで徹せれるか、そして徹し続けれるか。

 

あとはボキャブラリーです、あと表現です。

 

やって下さいそれ。

 

明らかに自分が変わって来てるんです。

 

で周りの人もそれを見て、「あーこの人は改善できるな」と思っている。

 

破局に向かってるのは違うかもしれないですね。

 

丁度それが変わりめなのかも知れない。

 

まさに今までのものが自壊作用していかもしれない。

 

今現状がどうなのかあまり振り回されない方がいいです。

 

自分がどうするかだけです。

 

全部一過程ですから。

 

一過程に明らかにいいと思われる様な事がきたり、悪いと思われる様な事が来ますから。

 

先程言った様に自分が崩れていくのが悪い様に思う事があるでしょう。

 

決してそんな事ないんです。

 

問題はそういう形の世界ではないんですここは。

 

本当に自分の人生ですから。

 

自分の命の活かし方ですから。

 

自分の愛がどれだけ出るかが、これの成功か不成功かが決まってくる訳です。

 

決してこうやるというこういう形ではない訳です。

 

わかりますか、殆どの人は形の方でしょう。

 

そうじゃないんですこれは心の状態です。

 

そういう事です。

よろしいでしょうか?はい。

 

それではですね、より究極的になっていきます。

 

一番究極的はカウンセラーとか相談者がお互いに無い方のが究極的です。

 

普通にやってて、お互いに真我を認め合い真我をたたえ合い喜びあい助け合い築きあう事が普通の会話の中でそれが出来たら一番いいですよね。

 

決してカウンセラーと相談者じゃなくて、それが究極です。

 

普通に会話して日常生活で普通に会話をして「おはよう」っていいながら普通に会話をしていながら相手が蘇っていく。

 

そうなるのがここでいう究極です。

 

何も助ける人も助けられる人もいない。

 

どっちが助けられているか、助けてるか分からないんです。

 

そういう状態が一番いい訳です。

 

自分の事を皆んな言いたいのにこれは相手に言いたい事を言わせるんですよ。

 

本当にそうなって、どんな事言おうが、たとえば嫌な事を言っても暖かく受けてあげてにこやかに受け入れて聞いてあげる立場になっていったら、多分殆どの人がっ変わったと思いますよ。

 

それも素晴らしく変わったと・・