1892.生命の源の目覚め

真我日記

写真はカレーライスです。かぼちゃを使って甘めに仕上がりました。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

今日は、「生命(いのち)の源の目覚め」をお届けします。

【本当なんです!】

「鬱病になって本当に良かったです!」

この言葉は、YSこころのクリニックで鬱病を寛解(完治)された方々が口をそろえて言われます。

一体これはどういうことなのでしょうか?

通常、病を克服すると、安堵の言葉が口をついて出てきます。

「あ~やっと治った!」「とにかく治ってよかった!」などの言葉は、想像するに難しくはありません。

一旦ループに嵌ってしまうと、ただでさえ難しいといわれる鬱病治療一つをとっても、
その苦しみから脱却できることはどれほどの喜びであるかは、
経験者しか分からない世界かも知れません。

できれば一刻も早く、その暗闇から脱出したいという思いが、つよければ強いほど、
「治った!」という事実は、どれほどのものかは、想像を絶するものがあります。

そして、通常ですと、「もう2度と鬱病には戻りたくない」と思うと同時に、
「やっと、抜けられた」という喜びに溢れる心の状態にフォーカスされることでしょう。

しかしながら、YSメソッドで、鬱病を克服された方々は、その鬱病の苦しみ、克服の道のり、環境、全てを含めて、
「鬱病になって良かった!」といわれるのです。

これは、言葉を返すと、「鬱病にならなければ、気づかなかった、大事なことに気づけた!」という深い洞察があるからといえます。

だから「これで、良かったんだ!」「鬱病になって良かった!」となるわけです。

では、その「気づけた大事なこと」とは、何なのでしょうか?

これこそ、「生命(いのち)の源である真我の心」のことなのです。

それは、実は人の人生の根幹を成す問いかけに対する答えと言っても過言ではないものです。

「一体自分は何のために生まれてきたんだろう?」

「一体自分は何者なんだろう?」

「残りの人生をどのように生きたらいいのだろうか?」

「自分の本当にやるべきことは何なんだろうか?」

「この世を去る瞬間に、最高だったといえる人生とはどんな人生なんだろうか?」

自分自身に問いかけても、なかなか答えを見出せない場合が多い中で、
YSメソッドにより、その「答え」を垣間見ることになるからです。

まさに「生命(いのち)の源の目覚め」ともいうべき、本当の自分の存在意義が明解になるわけです。」

つまり、この生命(いのち)の源である真我の心に目覚めることが、人生の本当の目的であるとさえ言い切れるのです。

そのもっとも大事なことに気づくきっかけになったのが、ほかならぬ「鬱病」だったわけです。

この全体像が見えたとき、自分の人生に起きた全てのことが、「全肯定」されるというわけです。

苦しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、恨んだこと、憎んだこと、嫉妬、トラウマ、傲慢、罪悪感、被害者意識、加害者意識…など、全てが「これで良かった」となってしまうのです。