写真はハンバーグステーキです。肉が柔らかくて美味しかったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【三日月と満月2】
もしかしたら、その相手や、我が子を三日月にしたのは自分かもしれない、そう思うと罪悪感で自分を責める気持ちも出てきます。
愛するが故になんとかしようと思うとますます相手が三日月に見えて、それが子どもなら、この「ダメな子」をなんとかしなきゃと、もう「ダメな子(欠けている子)」が前提になってしまいます。
精神的な病気になったとしたら、病院に連れて行くと医師や病院側は全員がすぐ「ダメな子」と判断して(それがいわゆる病院というものなのですが)、みんながみんな寄ってたかって「欠けてる」「三日月だ」と……。
子どもの側も、自分を愛してくれている人がやっていることであればあるほど、その状況から逃れられなくておかしくなっていくわけです。
円くするために何かを足してやろう、良かれと思って教えたり、やってしまうこと……それらを「かぶせ」と言ったりもします。
相手に自分の、またはある人の考えを「かぶせる」という、その人にはその人の考えや心があるのに、こちらの何か考えでどんどんかぶせていくと、相手はそこから逃れられなくなってしまいます。
「型にはめる」と言うとわかりやすいでしょうか。
このいい形にこいつをはめてやろう……と。
この「かぶせ」にもいくつかあります。
まず、「言葉のかぶせ」、次に「心のかぶせ」、そして一番大変なのが「愛のかぶせ」です。
この「愛のかぶせ」は愛しているが故という、さきほどの親が子をなんとかしようとしてしまうという、かぶせられている方も自分が愛されているのをわかっているから抵抗もできないわけです。
親が子にとか、夫が妻に、または妻が夫に……愛しているが故にお互いにそれが正しいと思ってやってしまったりして、どんどんはまってしまい、身動きができなくて大変なことになっていくわけです。
母原病、愛着障害といわれるものなどは、この「愛のかぶせ」に起因しているものではないでしょうか。
欠けているから何かを足す、または「かぶせる」のではなくて、欠けているその三日月が実は真ん円な満月だと見れるかどうか……。
たとえ三日月に見えても、それは本当は満月なのだ、その真実を見るということを私(佐藤康行)はやっているのです。