写真はいただいたハムとウィンナーの野菜炒めです。ハムの塩味が効いて美味しかったです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【講話続き】
これがあなただとしたら、この灯台は真我です。
皆さんの真我が開いていくと、本当にあなたが愛の光になっていく。
あなた自身の愛でいっぱいの心になって。
そうすると、あなた自身がこうやって、灯台そのものが、灯台の塔が光になる。
こういうふうに光っていく。
そうすると、灯台の塔が光ってるから、灯台の塔はあなたですよ。
この光が幸せであり、喜びであり、感謝であり、愛そのものである。
その人がもうその瞬間に、そこに時間差がなく、喜びになるでしょう?
例えば、人のためにやったら時間差があるんです。
この人のためにやっても、この人は自分のためにやってくれるとは限らないんです。
そのまんまいなくなっちゃうかもしれない。
「この人のために」とやったはいいけど、その人はいなくなって、
自分のためにならないかもしれない。
でも、「人は巡り巡ってやってくる」とよく言いますね。
人のためにやったら巡り巡って、結局はあなたのためになります。
でも、それは何の保証もない。
確証もない。
どこに巡り巡って来るんだ。
そういうふうに人は言いますよね。
全然その確証はない。
だから、なかなか人のためなんてできない。
なかなかできない。
人のために一生懸命やるなんてことは。
そこに時間差が出てくるわけ。
でも、私が皆さんに提唱してる真我を開いていって、
それを実践に移すというのは時間差がないんです。
今この瞬間に、あなたは幸せになれる。
今この瞬間に喜びいっぱい、感謝いっぱい、愛の人になれる。
皆さん、体験してるじゃないですか。
体験しない人に講義してるんじゃないんですよ。
その体験してるあなたに講義してるから、よーく分かるでしょう?
言ってる意味。
で、時間差がない、今喜びいっぱい、感謝いっぱい。
真我開発講座を受けて真我が開いた瞬間、あなたは号泣して。
家1軒もらっても、あんだけ泣かないと思いますよ。
何にももらわなくても、こんなに幸せなんだ。
この喜びをそのまんま人に伝えられたらどんなに素晴らしいだろうか。
この光が、今度はあなたの家族が周りにいる。
その家族にその光が行くわけ。
近い順番から行くわけ。
あなたの夫、妻。
そして子供、父母。
ずうっとそれが行くわけです。
ずうっと渦巻のように広がっていくわけです。
矛盾がないです。
一番幸せなのはあなた自身。
2番目に幸せなのは、あなたの近くにいる愛する人たちというようになっていくから。
それから、今度は近所の人、日本、世界になってくる。
全く矛盾がないでしょう?
これをもし、本当にちゃんとできたとしたら、あなたは一瞬一瞬、
毎日毎日が幸せで喜びでやって。
そして、あなたの愛する人にその愛が行って。
なおかつ、みんなに喜ばれ、あなたは誰よりも喜んで、誰よりも幸せで。
そして、その幸せで周りの人たちが幸せになっていく。
自己犠牲なんか全然しなくていいんです。
人から見てもエゴの強い人と思われない。
自分のことしか考えないとは言わない。
でも、自分のことをやってるんですよ。
自分のことをやってる。
真我を開発するってのは、究極の自分だから。
みんな中途半端な自分しか開発しないから駄目なんです。
その奥にある本当の自分、真我だけを追求していったら、本当に自分のことを考える。
そして自分のためにやる。
真我開発講座ってのは、真のあなたを開発するんですよ。
何の問題があるでしょう?
たまに、変なことを言う人がいるんです。
「真我から離れる」とかね、全くピント外れなことを言ってるんです。
「真我から離れる」って、何を離れるんですかって。
何か勘違いしてるんです、その人。
うちを宗教団体みたいな感じに思ってる。
「何を変なこと言ってるんだろうな」と私はよく思います。
「真我から離れる」って、笑っちゃうしかないね。
真我はあなた、本当のあなたなんです。
真我を開発して、うまくいく人はやはり実践している人ということになります。
そのためには、真我の開発を中途半端にやらない、徹底的にやると言うことですね。
自分の周りから実践していくこと。
恥ずかしい、照れくさい、見栄、体裁が、実践を邪魔をするから、
素直に即実践しましょうといわれます。
家族や職場での真我の実践とは何か?
真我の心を身体を通して表していくということとすれば、
究極の実践方法こそが、佐藤先生のYSカウンセリング技法なのです。
実は、YSカウンセリングの実践は、自己の真我開発も同時にされているのです。
自己の真我の追究と、実践を同時にできるという、
佐藤先生のYSカウンセリングは、
まさに真我の実践の究極形ですね。
どうしても習得したいものです。
意識をして、自分の周りから実践し始めることがすでに、
習得できている自分を引き出すことになるのでしょう。
明日から、また別角度から見て行きます。