1788.百発百中のやり方

真我日記

写真は近くのビックボーイに夫とランチに行って食べたチキンステーキです。美味しかったです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

研修生:
現実に戻った時に、愛が大前提だということを全く理解してない方に
「ご主人のことを愛してるんですね」と言うと、逆切れされそうといいますか。
今も、「こうなんじゃないですか?」と言ったら、
「できてねえんだよ」みたいなことを言われちゃって駄目だと思っちゃったんですけど。

佐藤先生:
大変いい質問です。
だから、尋ねるようにして言うんです。
「もしかしたら奥さん、ご主人はあなたをものすごく愛してるかもしれませんね」
「なんかそんなふうに今感じました」とかね。
「なんで?」とみんな、びっくりするでしょう?
そしたら、たぶん真我を開発した皆さんなら、答えが絶対出ますから。
自分の真我を信じてください。
「だって、それだけ真剣になって言うんですから。
あなたのことを愛してるから、それだけ真剣に言ってるとしか思えません」
というふうに言えるでしょう?
大丈夫です。百発百中です。

ただ、言い方の問題だけです。
今のように、結論から先に言っちゃうと、今みたいに反対になっちゃう可能性があります。
「聞いてないんじゃないか、人の話を」と思ったりする。
それは十分あります。
その時には、「今、こういうことをおっしゃいましたよね。
でも、聞いてるうちに、なんか私には違うように聞こえてきたんですけど、
どうでしょうか?」とやるんです。
言い方は無限にありますから。
ぜひ、言い方を訓練してください。

相手の言葉をして相手の心に返してあげたら、絶対変に取られないです。
「今こういうことをおっしゃったんじゃないでしょうか」と聞くようにしてやる。
「今、私はこういうように感じたんですけど、どうでしょうか」とかね。
このような言い方をすると抵抗がないと思いますよ。

抵抗がある時は、決めつけられたり、「こうだ」と言われたり、
上からかぶせるように言うのは絶対禁物です。
相手の上に何かをかぶせるように言うんじゃないんです。
相手の思ってることをそのまま返してあげる。
これはどんな人にも百発百中です。

だって、自分の言ってることを分かってくれてるんだから、その人は手も足も出ないですよ。
これは人を育てる場合にも、仕事にも全部ね。
私がやってるサンタの営業にもこれでやれば、パチパチ決まってきます。
みんな自分の言ってること、自分の思ってることが一番大事なんですよ。
その大事なことをもっと大事にしてあげるんです。

できたら、相手の思ってること、出したものを、
そこにちゃんときれいな包装用紙に包んで、
きれいなリボンを付けてお返ししてあげるんです。
自分のものを自分に返してくれるわけ。

それはどういうことかというと、相手がこういうことを言ったら、
「素晴らしいですね」と言うわけ。
「そこまで真剣にやられてるってのは」というふうに言って。
パッと言葉が出なかったら、「なんか、そんな気になったんです」でもいいわけ。
「なんかすごく仲いいように感じたんですけど」でもいいわけ。
「なんか、そんな気になってきたんです」と。
きっとあなたはものすごく興味持たれると思いますよ、その人に。
「えー? 何を感じたんだろう」と。

佐藤先生:
相手の言ってることがよく分からなくても、「はあ」とかってやればいい。
こっちから聞いてつまらないことでも、本人は大事なことなんです。
こんな小さなことでも、このように大きく受け取るんです。
相手の大事なアドバイスを。
「いやあ。勇気づいた、元気づいたわ」と喜ぶんです。

皆さん、自分が喜ぶのと、喜ばれるのと、どっちが嬉しいですか?
男女でもね、相手のエクスタシーがいいか、自分のエクスタシーがいいかを聞いたら、
だいたい相手がいいと言う人が多いです。
人間にはそのように、人に喜んでもらえる喜びという本能があるんです。
そこをやる。
真我のカウンセリングはまさにそれをやることです。
人を救ってるようで、実は自分が救われるんです。

佐藤先生:
私がやってるのは絶対、本物で本番しかやりたくないんです、本当は。
架空の話なんかしたくないんです。
本当に目の前に、今にも死にそうな人が来ると、俄然張り切るんです、私は。
本番でなきゃ。
架空の話なんかしたって意味ないです。
先ほどの「離婚を迫ってきた」というのは本物の話だから、
本当にそれが先ほどの効果があるかどうか、すぐ出るわけ。
「おまえのこと、嫌いだ」「いや、私はあなたのことが大好きだ」
「嫌いだ」「好きだ」って、そこで押し通していくんです。
そうしたら、絶対「好き」が勝ちますから。

だから、相手に振り回されない。
その奥の真我だけを見ていくんです。
相手は真我であり、愛の塊だから、それ以外のことを見ない。
その途中を見ない。
「何を言った、かにを言った」、そんなもの見ないんです。
真我しか見ない。
真我だけでいくんです。
相手は「真我」と言っても、もちろん分からないから、
例えば、真我を別な言葉で表す。
「愛されてるんですね」「愛してるんですね」とかね。
例えば、亡くなった方だったら、
「今でも見守ってくれてるんですね」とかって言うわけです。

真我は宇宙だから、永遠の命だから、死なない命だから、
亡くなった方にも言えるわけです。