1760.人間の正体とは2

真我日記

 写真はざるそばです。夏になると無性に食べたくなります。 
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
あなたが背負っているもの
人は何のために生まれてきたのか
あなたは何のために生まれてきたのでしょうか。
人は何のために生まれてきたのでしょうか。
このテーマの答えがわかれば、この世にあるすべての問題は、自動的に解決します。
私はそのように捉えています。
私たちは、一体何のために生まれてきたのでしょうか。
他の生物はどうでしょうか。花は一体何のために咲いているのでしょうか。
一説によると、地球上の生物は、推定で一千万種類いるといわれています。
あらゆる生物は、一体何のために生きて、そして死んでいくのでしょうか。
人間は、がんばって財産を残したり、地位を誇ったりしています。
しかし、一生懸命がんばったと思ったら、そのうちにこの世から去らなければなりません。
一体何のためにがんばっているのでしょうか。
このことを中途半端に考えると、段々虚しくなってきます。
それならば、まったく考えない方がましかもしれません。
とことん本当のことを追求して知るか、まったく知らないかのどちらかです。
私たちは、病気になったり、人間関係で苦しんだりしています。
中には生まれた時から不幸を背負って、一生涯不幸のまま人生を終えていく人もたくさんいます。
一体何のための人生だったのでしょうか。
本当に喜びにあふれ、感謝にあふれて、愛にあふれて一生涯を最初から最後まで生き抜いた人に、
今のところ私は会ったことがありません。
では、そういう生き方は、私たちには与えられていないのでしょうか。
やはり、一通り苦しんだりしなければ、ならないのでしょうか。
私たちは今、そういうことを真剣に考えなければならない時代に差し掛かっていると思います。
私たちは一生懸命人生を生きてきて、
最後に「私の人生は一体何だったのだろう」といって終止符を打ちます。
できるなら、一刻も早く“何のために生まれてきたのか、私は誰なのか”をわかって、
残された人生を生きられたらいいと思うのです。

“教え”では救われない
今、私たち日本人の心が大変荒んでいます。
自殺者は、年間三万人を超えました。
離婚が年に二十五万組です。
うつ病や“引きこもり”と言われる人が、全国に百万人以上いると言われています。
では、一体こういう問題はどこに行ったら解決するのでしょうか。
うつ病の人は病院に行ったら治るのでしょうか。
病院に行っても薬を飲まされるだけです。
どうやって心を薬で治すのでしょうか。
宗教は、本来こういった問題を解決する役割のはずです。
では、本当に宗教がその役割を果たせているのでしょうか。
はっきりいいます。
宗教を一生懸命やっている人やその子どもは、かなりの確率で余計に苦しむ結果になっています。
これはなぜかというと、“いい教え”を頭で学んでいるからなのです。
「人を愛しましょう」と頭で学んでも、
実際には人を愛せない自分がいることを自覚すると、自己嫌悪に陥ってしまうのです。
「どうして私には、こんな嫌な心があるんだろう」と、
自分自身が情けなくなってしまいます。
そして、その自分の欠点を隠して、いい所だけを見せようとするようになります。
すると、解決しなければならないことが、いつまで経っても解決しません。
また、“いい教え”を学ぶほど、他人の欠点がよく見えてきますから、
人を蔑んで見たり、批判をしたりしてしまいます。
さらには、自分の子どもを、その“教え”の枠にはめ込もうとします。
親の言うことを聞こうとする子どもは、その枠から出られずに塞ぎこんでしまいます。
逆に反発する元気のある子どもは、親から離れて不良になったりしてしまいます。
“いい教え”を学んでいる人は、
頭だけで「もう私はわかった」と思ってしまう傾向があります。
私の講演を聞いて、「うちの教えと同じ!」とうなずいて拍手をする人は、
実は一番わかっていない人なのです。
ですから、そこから改善ができません。
教えというのは知識です。
しかし、私が伝えようとしていることは、命の悟りです。
この命の悟りは知識では得られないのです。
本当にわかってきた人は、グーッと何か熱いものが体の中からわいてきたり、
頭を抱え込んだりします。
そういう人は、だいぶ、わかりかけてきたといえるのです。

善悪を超えた世界に目覚める
物事には「善」と「悪」というものがあります。
では一体、何が善で何が悪なのでしょうか。
戦時中は、日本は正しくて、アメリカやイギリスを“鬼畜米英”と言って、
彼らを殺すことが良いことだと国民は信じていました。
自分が正しいと思ったところからケンカは始まります。
「ああ、私は間違っていた」と思えば、ケンカになりません。
私も、社会に出た時には無一文の皿洗いから始めましたから、
自分の信念というものが強く、大変負けず嫌いでした。
必ずいずれは日本一のレストラン王になってやろうと誓っていましたし、
実際に一時は何千万の店を毎月オープンするまでになっていました。
ですから超ワンマンだったのです。
また、ワンマンでなければやっていけない部分もありました。
それゆえに、精神的に大きな壁にぶち当たりました。
あまりにもワンマン過ぎて、人を受け入れたり信じることができず、
そのため、心のドアが閉まっていったのです、パタパタパタ……と。
そして心が真っ暗闇になりました。
船がウワーッと座礁するイメージが眼の奥に浮かんだりするのです。
もう自分が怖くて仕方がありませんでした。
「指一本触れないで人間は死ぬことができる」と、その時はっきりと認識しました。
猛烈に心の世界を勉強し始めたのはそれからでした。
それは、自分自身を救うためでした。
そしてある時、私は一人の哲学者の言葉を聞いて大きな気づきを得たのです。
それは、
「自分が正しいと思った瞬間から、間違いが始まる」
という言葉でした。
それを聞いた時、私は悲鳴を上げました。
「あー! 私の欠点はこれだ!」と。
それまでは、私は自分が正しいという観念がものすごく強かったのです。
自分が正しいと強く思っているうちは、すべての相手が間違って見えます。
そのことに気づいてから、
パタ…パタ…パタ……パタパタパタと一気に心の扉が開いていきました。
それまでは、八方塞がりに思えていたのですが、頭上が開いていったのです。
ポーンと魂が上に上がった感じでした。
私が今、心のことをみなさんに伝えているのは、
私自身が命がけでこういった体験をしたからなのです。
私が気づいたのは、善・悪の世界ではなく、
その奥にある人間の善悪を越した世界、愛そのものです。
ここに気づくしか、私たちにはもう解決策はないのです。
これは人間の考えではない、心の本質、宇宙の法則、絶対法則、まさしく宇宙意識です。
そこに目覚めることなのです。
ここまで==================

この文章の中に、これからお伝えする佐藤康行先生の神技カウンセリングにおける重要なポイントが
ちりばめられています。