1752.私にとって一番辛かった過去とは

真我日記

写真は挽肉と厚揚げのあんかけです。野菜がアクセントになって美味しかったです。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書過去は自由に変えられるより
ここでは、私の過去の体験をお話しいたしましょう。

北海道で生まれ育った私は、14歳の時に母を脳出血で亡くしました。

三日三晩、母の遺影を抱きかかえながら、わんわんと泣き明かしました。

近所の人も見るに見かね「康行ちゃん、かわいそうに……」と声をかけてくれるのですが、それが精一杯の様子でした。

けれど、それも今思うと、それでよかったのです。

中学生の時に最愛の母が死んだ、という動かせない事実。

でも、それでよかった。

なぜなら、私は母が死んだおかげで、早くから自立することが出来たからです。

死んだおかげ、という表現は変ですが、しかし、母の死がきっかけとなって、私は東京へ上京する決意ができたのです。

そして、23歳の時。

今度は、私の実家が父の不注意で火事を出し、全焼失しました。

慌てて駆け付けた私の前には、髪の毛がチリチリに焼け焦げた父が、うつむいて涙を流して立っていました。その火事で、祖母が焼け死んでしまいました。

しかも、父は半年前に火災保険を解約していたので、これから住む家さえなく、為す術もない状態でした。

私も父も呆然としていました。

その時、私には本当に帰る家もなくなったのです。

ですが、それでよかった、と今は心から言えます。

私はそのおかげで、火が点いたようにやる気になったのです。

この家族を、自分が頑張って盛り上げるんだ!

という強い動機が生まれたからです。

それ以後、私の心の火は燃えに燃え、がむしゃらに働きました。

当時していたセールスの仕事でどんどん成績を出します。私は、破竹の勢いで成功し始め、どんどん豊かになっていくのです。

頑張って、頑張って、3年で1千万円という金額を貯めることができました。

これは1970年代のお話ですから、今なら5、 6千万円の価値があります。

その資金で、夢だった小さなレストランを開業し、経営者としての道を歩み始めました。
そして、チェーン展開をして、わずか数年で70店舗まで拡大したのです。

これはつまり、あの時、実家が火事で焼けてしまったからなのです。父がうっかりミスをして火を出した、そのおかげなのです。

だから、ちっとも失敗じゃなかったのです。

結果として、その後の私は稼いだお金を使い、十分に親孝行が出来ました。

いかがでしょう。今の私の例のように、過去は間違いなく変えられます。

では、あなたの場合はどうですか?

あなたの過去に起きた出来事には、実は「いい」とか「悪い」はないのです。すでに終わった出来事が問題なのではない。

それをあなたが「どう捉えるか」が問題なのです。

50代の時に、私は母と同じ脳出血で倒れて、左半身麻痺になりました。

入院中、要介護度が最も重い「5」と認定され、寝たきりになるかもしれない、と言われました。

しかし、今思えば、これもよかった。

なぜなら体が多少不自由になったことで、わかったことがいっぱいあったからです。

・体の自由を補うため、より頭を使うようになった。
・体の不自由な人の悩みを体感することができた。
・効率的な移動方法や仕事方法を考案できた。
・他人に仕事を依頼することが得意になった。

そのほかにも、よかった理由は沢山あります。

今、私は心のことを仕事にしています。心を仕事にするうえで、最も必要なことをすべて、私は身をもって体験することが出来ました。

ですから、強がりではなく、体が不自由になったおかげで、本当にたくさんのことを体験できたことに感謝しているのです。

いかがでしょう? あなたも私の話に同感、共鳴して、過去を肯定しますか?

この本を開いてよかった、と思いますか?

少なくとも私は、過去のこうした体験を、本当に心からよかったと思っています。

これが、もし逆だったらどうでしょう。

もし、母を亡くして、そのことを嘆き悲しんだ私が自暴自棄になり、いつまでも路頭に迷っていたら、私の母は天国から私を見て、泣いていると思います。大切な我が子に幸せになってほしくない親はどこにもいないからです。

だから、若くして母が亡くなったことを「これでよかった」と肯定できることは、一見、変に聞こえるかもしれませんが、ものすごく大事なことなのです。

亡き親が天国からそんな私を見たら、喜んでくれるはずです。

「ああ、私は早く死んでよかったんだ。息子がこんなに立派になってくれたんだから」と。

このように、一見、まったく最悪に見えることでも、実は最高の出来事だった、と変換してあげることが私にはできます。

それが「過去を変えた」ということです。

はっきりと確信をもって申し上げます。

あなたの過去は全部よかったのです。

あなたの身に何が起きようと、すべてよかったのです、あなたの過去は。

過去にどんな裏切りを受けようが、殺されそうになろうが、傷つけられようが、自分が人にしてしまった間違いも、全部よかったのです。

今、胸に手を当てて、

「過去はよかった!」と、あなたは今そう言い切れますか?

そう言い切れたら、すごくいいと思いませんか。

最悪と思っていたそのことによって、よかったことがあるはずです。

あの体験があったからこそ「学びを得て慎重になった」「思慮深くなった」「うまくいく方法を見つけた」というように、よいことがいっぱい出てくるはずです。

ということは、全部よかったということじゃないですか?