1396.意識を高くする方法

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
意識が高い人と付き合うと、自分の意識レベルも引き上げられる。

人間は本来、人間の持っている能力を引き出すことができるのである。

逆に、自分よりも意識レベルが低い人たちと付き合う場合、その人たちを見て反面教師として自分の意識の向上に役立てるという説があるが、私はもっと別の観点から見ている。
自分の意識を高めれば、まだ意識レベルが発展途上にある人や、意識の低い人を高いレベルに引き上げるきっかけをつくることができる。

私は、以前ある刑務所で一時間講演を行ったことがある。

刑務所で講演を行うのは、僧侶と牧師くらいなものだそうだ。

でも、私は以前からぜひ刑務所で講演をしてみたいと思っていた。

それが、実現したのである。

七百人ほどの受刑者がこの刑務所に収容されている。

暴力団の組員が大半を占めている。

覚醒剤の中毒者をはじめてして、殺人犯の人も十七人ほどいた。

受刑者服を着た丸坊主頭の男が、七百人もいる様は不思議な光景に移った。

女性の姿が一人もいないというのも、奇妙に見える。

私が演壇に立った時、瞬間的に感じたイメージは色で、表現するとまさに灰色といった感じだった。

それが、何を意味しているのかわからない。

でも私は決心した。

「よ~し、私の講演でこの灰色の空気を吹き飛ばしてやるぞ」

私は、全身汗まみれになるほど受刑者の前で熱弁をふるった。

後で聞いた話だが、受刑者は普通、講師の話をあまり熱心に聞かないそうである。

中には大げさに手足を伸ばして、講師の話に退屈しているという意思表示をする人さえいるそうである。

でも、私が話している最中、そのような態度をする人は一人もいなかった。

熱心に食い入るように私の話に聞き入っている。

講演が終わったあと、受刑者の何人かが私あてに感想文を送ってくれた。

私はセミナー受講生にこの感想文を読んで聞かせるが、みんな感動してくれる。

以下、その受刑者の感想文を紹介する。

〔刑務所・感想文〕人生自由自在を聞いて――――――    M・H

講演を聞いて私はとても感動いたしました。

そしてその内容を聞いて、ほんとうに実感させられることが、たくさんあり、とても私のためになる一時間の講演だったように思います。

なかでも、とくに感じたことは、先生の話の中で、家族を大切にしないやつは、他の人など幸せにできないどころか、自分も幸せになれないというところです。

ほんとうにそのとおりだと思います。

私の人生もその一言だったように思います。

私はほんとうにこの講演を聞きながら、自分に問いかけました。

ほんとうに俺のことをいわれているような気にもなりました。

私は今まで、三十何年間の人生で、ほんとうに周りの愛すべき人たちを裏切り、迷惑をかけ、どれだけ不幸にしてきたかわかりません。

ほんとうに自分勝手なことばかりして、この刑務所等にも世話になっています。

いつもここに努めている間は俺はもう、今度出所したときは、絶対にやらないぞと思いながら出所するのに、また自分勝手なことをして、何度もここでの生活です。

その度に、娘や父母に心配をかけ、迷惑をかけ、寂しい思いをさせてきた大馬鹿者と、講演を聞きながら、自分のことが頭の中に出てきたのです。

家族を大事にしないやつは、といわれたとたん、頭を何かで殴られた感じでした。

私には、中学生になる娘が一人います。

妻とは別れていて、今娘は私の実家で私の父母と暮らしているのですが、私が父に出した手紙は住所の書いてない手紙です。

私はそれだけでも、ほんとうにいつも娘に済まないという気持ちなのです。

そうですよね。どこに今時誰が自分の父に出す手紙に、娘が見たら困るので住所の書かない手紙を出している悲しさ・・・・。

自分が悪いのです。

この気持ちは、いかに自分が家族を不幸にさせ、心配をさせているかの現れだと感じています。

この事実がある間は、私は幸せになれないと、今回の先生の講演を聞いて、また頭を先生の言葉でガーンと殴られた気がします。

考えてみると、その住所のない手紙で、娘はうすうす感じているみたいです。

私の父にいったそうです。

「パパ、またなの」と。

それだけで、家族を不幸にしています。

ほんとうに反省し、もうこりごりだと思っています。

私は話を聞いて、これから二度と住所のかけない手紙は、絶対に書かない人生を送ろうと心に決めたのです。

話は私事になってしまいましたが、ほんとうに先生の話とおりに、これから家族を絶対大事にしていくことを決めました。

そのためには、やはり話しにあったように、やるぞやるぞという気合と努力、そして自分を信じて頑張ること。

何事も頑張らないと、仕事もうまくいかないし、家族も自分も幸せになるために、頑張りたいです。

ほんとうによい話をありがとうございました。

私も頑張り、私の周りを幸せにすることを考えながら、生きていこうと思っています。

ほんとうに佐藤先生の講演で、目が覚めました。

頑張ります。

ほんとうにありがとうございます。

最後に私の体が財産です。

ほんとうにありがとうございます。

講演・人生自由自在を聞いて―――――  H・T

十一月の行事予定を見たとき、十二日「講演」となっていたので、「あ~あ、またどこかの坊さんか偉い先生の難しい話なんだろうなあ。つまんないなあ」
と正直思い、気が滅入りました。

更に悪いこと(?)に、その講演の感想文を書くようにいわれ、文章を書くのが苦手な私は、それが嫌で講演当日、仮病を使って欠席しようかと考えたほどでした。

当日、舎房を出て講堂に入り、椅子に座って待っている間も「どうかあまりややこしい話じゃないように」と心で祈りながら黙想していました。

号令があり、目を開けてみるとステージ上に看板があり、『佐藤義塾 佐藤先生・演題 人生自由自在』と書いてあり、それを見て私は、「あ~あ。やっぱりどこかの偉い先生だ。こりゃ、困ったぞ」と思いましたが、もうここまで来たらどうあがいてもしかたがない。

よ~し、こうなったら佐藤先生のいうことを一言も聞き漏らすまいと開き直り、腹を据えるとなんとなく気が楽になりました。

しばらくすると、厚生統括さんの大雑把な話があり、いよいよ講演の始まりです。

するといきなり女性の声のナレーションが入り、佐藤先生のプロフィールがテープから流れてきました。

なかなか凝った演出の幕開けです。

やがてそのテープも終わり、佐藤先生の登場です。パッと見た感じは、どこにでもいる普通のオジサンというのが第一印象です。

が、この人どこかで見たことがあるなあと思い、さっき聞いたプロフィールテープの内容を思い返してみて、ハタッと気づきました。

東京・神田で立ち喰い形式のステーキ店「くいしんぼ」を開店したオーナー、その人ではありませんか。

以前テレビ(確かスーパーテレビで、激化するレストラン戦争という内容だったと思います)の中で、大声で店長以下社員に喝を入れていた人で、なんてタフで精力的な人なんだろうという印象が残っています。

今、その人が目の前で話をしているのだと思うと、なんとなく親近感を覚え、講演が始まる前の緊張感やプレッシャーがまるで嘘のようにスッーっと消え、リラックスでき、次はどんな話が出るのかと楽しみになってきて、どんどん引き込まれていきました。

佐藤先生は地元、北海道・美唄の生まれで、貧しい家庭に育ち、つっかえ棒をした家に住んでいたほどで、それが恥ずかしくて友達を家に呼べなかったという苦い経験もあり、その他いろいろな苦労などエピソードを交え、わかりやすく語りかけるように話してくれ、そのときの気持ちが滲み出て、こちらにシッカリ伝わってきました。

もう貧乏は嫌だ。

きっと金持ちになってやるぞという一心で、中学を出ると同時に東京に出て来て、定時制の学校に通うかたわら、皿洗い、化粧品・宝石のセールスマンなどと職を変え、ついには年商何十億円という実業家になるまでには、数え切れないくらいの失敗、苦労があったはずなのに、それら苦労をものともせず、つぎつぎと乗り越え、自分の人生の糧、エネルギーとしていく話には、驚くものがありました。

とくに先生の話の中で印象に残ったのが二つほどあります。

まず一つは「人生何事もプラス思考」。失敗は成功の元というように、すべて良い方、良い方と思う心。

これが大事だと言うことです。

仕事をするにも、受け身じゃなく、積極的に自ら進んでやることが大事。

どんな仕事でも人にやらされていると思うと嫌になるに決まっています。

そうじゃなく、自分のために、自分から進んでやれば、辛い仕事も楽しいものになると言いたいのだと思います。

ややもすると、われわれ受刑者はなぜ働かなくては?と疑問に思うことがあります。

が、しかし、これも社会復帰に向けての試練・糧と思えば、大した苦にならないんじゃないでしょうか。

私は先生がそういいたかったのだと思います。

そしてもうひとつ。

「親と子の関係がうまく運べば、人生すべて円滑。

親子関係は人の世の原点」

この言葉に私の胸は痛みました。

というのも、今回で三回目の受刑生活となります。

が、犯罪の道に走るようになってからというもの、田舎の母には何の連絡も入れず、ただ自分自身の欲望のなすがままに生活し、今では生きているものやら、死んでいるものやら、それすら定かではありません。

われながらなんと情けないことか。

いえ、今まで何度か電話をしよう、家に帰ろうと思い、途中まで行ったことはあります。
が、そこで足が止まってしまうのです。

怖いというか、恥ずかしいというか、勇気が湧いてこないのです。

でも、先生の話を聞いて、チョッピリ勇気が付きました。まだまだ先の話ですが、ここを出所したら今度こそきっと母親の元へ顔を出そうと思います。

会ってくれないかもしれません。

それでもかまいません。

とにかく一度、生まれ育った故郷に帰り、一からやり直してみようと思います。

急にこんな気持ちになり、私自身、変な気分です。が、これも佐藤先生のおかげです。

ほんとうにありがとうございます。

最後になりますが、お忙しい中、われわれ人生の脱帽者のために貴重な時間を割いてくださり、ほんとうに心からありがとうといわせてください。額に汗をかくほど、熱弁を振るってくださり、ほんとうにご苦労様でした。

私は先生のいわんとしていることをよく理解し、実践し、今までたくさんのかたに迷惑をかけてきた分、今度は少しでも人さまのためになるよう生きていこうと心に誓いました。
たった一度の人生だから。

刑務所に入っているような様々な失敗をしている人、悩んでいる人、苦しんでいる人の方が救いやすいのである。

なぜかというと、ちょうど振り子の振幅の度合いと同じで、悩んでいる振幅が大きいと、それだけ気がつく振幅が大きいからである。

何も考えていない人は振り子が動かない。刑務所に入っているような人たちは、イヤでもそういうところに閉じ込められているから気がつかざるを得ないのである。

これを日本の浄土真宗を広げた親鸞上人が「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」といっている。

善人ですら救われるのに、悪人が救われないわけはない、悪人の方が救いやすいというのである。

悩んでいる人、苦しんでいる人、そういう人の方が救いやすい。

ましてや病気の人も救いやすい。

先ほど述べた、振り子が触れたらその分反対の方に振れるからである。

ということは気がつくチャンスなのだ。こちらに行った分、これだけ気がつきなさいよということなのである。

だから、当然そういう人の前で話すと、だいたい本当の自分が出て来て、涙が出てくるか苦しむか。

ああ、私は間違っていたと頭を抱えてしまう。

俺は何をやっていたのだろうと気がつくのである。

先ほどの受刑者の感想文には、自分は全く文才がないようなことを書いていたけれども、ものすごい才能を感じる文である。

この文章は、誰かに評価されようと思って書いていない。

普通の人が一般社会の中でものを書くと、どう評価されるか、うまいとか駄目だとか、買ってもらえる買ってもらえないとか、計算がある。

この受刑者はただ感じたことを書いただけで、世の中にどれだけの反響を及ぼすかなんて、何にも計算していないのだ。

だからこそ凄いのである。

実は、私の特技はそこなのだ。

その刑務所には、七百十一人の受刑者がいた。

私は刑務所の所長に電話して、できればマイナスのコメントもいただきたいとお願いした。

私にとっては良い修行の場であるから、良かったというコメントではなくて、全然わからなかったとか、そういうのを、是非いただきたいとお願いしたのだ。

すると、申し訳ないけれども、そういう感想文は無いと言われたのである。

反論や反発も一切なく、すごく良かった、感動した、という感想しか無かったそうである。

こういうケースは珍しい。今まで無かったと言われた。

たった一時間で受刑者たちは変わったのだ。

あなたはこの一冊でどのくらい変わるつもりだろうか。

是非、人ごとと思わず、ご自分の人生に当てはめて考えてみていただきたい。