1745.過去を背負ってきた山本剛史さんは語る1/5

真我日記

写真は磯丸水産のサーモンと穴子丼です。魚介も新鮮で食べ応えがありました。 
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書過去は自由に変えられるより

本日は、過去を背負って生きてきた山本剛史さんに語っていただきます。

では、山本剛史さんです。はいどうぞ!

私は、生まれつき右目が見えません。

未熟児で生まれて、右目の視神経が成長しなかったためです。しかし、見た目は両方の目に問題が無いように見えるので、小さい頃から周りの人に誤解され続けてきました。

自分では正面を見ているつもりでも、顔が斜めになっているため、わき見をしていると誤解され、学校の先生に、どこを見てるんだ!と何度も注意されました。

「なんて理不尽なんだろう」と思っていました。

そんな私は、友達にもよくいじめられました。クラス全員が共謀して、私をだましたこともあります。部屋に閉じ込められて、外からカギをかけられたり、帽子やスリッパを隠されたことなど、しょっちゅうでした。

いじめは小学校から中学校まで続きました。中学の時、たまりかねて担任の先生に相談しました。その教師は「君に問題があるんだろう。君の態度を変えていけば、みんなもいじめなくなるんじゃないのか?」と言いました。

まるで、私が悪いかのような言い方に、目の前が真っ暗になりました。

先生も、友達も信用できない……!誰も信用できない!

はっきりとそう確信しました。

……でも、母は私の味方でした。とても優しくしてくれました。

母の忘れられない思い出。幼かった頃、よく分からないまま母に尋ねたことがあります。

「お母さん、どうして僕だけ右目が見えないの?僕はなんで、友達と一緒じゃないの?」

その時、母は、ハッとした目で私を見ました。

そして、今まで見たこともないような悲しい顔をして、私をギュッと抱きしめました。その腕から、母の悲しみが子供である私に伝わってきました。

「あっ! お母さんが悲しんでいる。僕がいけないことを言ったんだ!」

僕も、ギュッとお母さんの腕を強く握りしめました。

多分、母は、私を未熟児として産んだことで自分を責め、そして、苦しんでいたのに違いありません。無邪気に尋ねてくる息子に、答える言葉がなかったのでしょう。

この時、子供心に私はこう思いました。

「この話は、してはいけないんだ。お母さんを悲しませるんだ……」

それ以後、私は母に絶対そのことを言いませんでした。

そして、自分の言いたいことは、そのまま伝えてはいけない。そのまま伝えると大切な人を傷付けてしまう。無意識下の深いところで自分はそういう存在なんだ、と思うようになりました。

母は現在も健在ですが、父はすでに他界しています。

実は、私は父をあまり好きではありませんでした。父は庭師の仕事をしており、いつも泥だらけの汚れた姿で、近所の庭を手入れしていました。

そんな父を、私は心の中で恥ずかしいと思っていました。

「なんで、友達のお父さんのように、背広とネクタイで、会社へ行かないんだろう。なんで、うちのお父さんだけ、泥だらけで、ボロボロの格好をしているんだろう」

友達は私の父の姿を見て、やっぱり私のことをいじめました。

「剛史のお父さんは、泥だらけ。バカボンのお父さんみたい」

そんなふうに、からかうのです。

恥ずかしくて、友達に泥だらけの父を見られないように、と祈っていました。

時折、学校の校庭の仕事も請け負っていた父が、恥ずかしくて仕方がありませんでした。

父は、雨が降れば仕事は出来ません。仕事がなければ、お金も入ってきません。仕事がない時は昼から酒を飲み、そして、時には大きな声で怒鳴ったりします。私は父を心の中で軽蔑していました。レベルの低い人なんだと、思っていました。

そんな気持ちから、私は塾の講師の仕事を選んだのかもしれません。

一番覚えているのは、父が私のことで母を大声で怒鳴っている場面です。

幼少の時、私は喘息もちで、夜中の1~2時頃になると発作が出ていました。

昼間は発作が出ないものですから、病院に行くのを嫌がる私を、母は無理には連れていきませんでした。

でも夜中になると、ひどい喘息の発作を起こすのです。

その私を見て、父は大声で、母を怒鳴るのです。

「おまえは昼間、何をやっていたんだ! 剛史がこんなに苦しがっているのに、なぜ病院に連れていかなかったんだ!」

父に怒鳴られるたび、母は辛そうでした。

父の怒鳴り声と、私の発作とで、母も泣きながら私の背中をさすってくれたり、抱きしめてくれたりしました。

ここで私は、私が咳をすると母は父に叱られるのだ。自分が咳をするから、母は苦しむことになる。そう思って、どんなに苦しくても、咳を我慢するようになりました。

こうして、高校に進む頃には、私は「周りのすべての人間が敵だ」と思うようになっていました。

ひとりでいるのが一番楽でした。

心に壁をつくり、誰も自分の心の中に侵入させないようにしていたのです。

そんな私には、当然誰も近寄りません。友人もひとりも出来ません。