1726.自分が正しいと思った瞬間から間違いが始まる

真我日記

写真はオムレツと昨日の残りの魚の煮付けです。オムレツは玉ねぎがシャキシャキして美味しかったです。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
我々は社会生活の中で、無理やり人を好きになろうとしていることが多々あります。

しかし本当は、無理やり人を好きになる必要などないのです。自分を高めていくと、波長が合う人が自然と変わってくるからです。それを無理に合わせようとすると体のリズムまで崩れ、結果的に自分のためにもならなくなります。

そういうことに振り回されないために、深い観点、魂の次元からものを見る、素直な心であるがままを見ることが必要なのです。

そこから見ると、嫌いな人などいないのだということに気づくはずです。

皆、同じ人間であり、仲間であることを自覚すると、そのことにこだわる必要がなくなりますし、すべての人々を包み込むことができるのです。

私は以前、自分は正しいという観念の強い人間でした、ある時、有名な哲学者の本の中で、「自分が正しいと思った時から間違いが始まる」という言葉を見つけ、私は愕然としました。

自分の欠点はこれだ、と瞬間的に感じました。

自分が正しいと思うことは、同時に、相手が間違っていると決めつけることになりますから、相手を受け入れるという豊かな心、大きな心が失われていくのです。

正しいという正義の観念より、人を包む、受け入れる、という大きな愛の心の方が大切なのです。

親鸞上人は、「善人、なおもて救われる。いわんや悪人をや」と言っています。

善人でさえ救われるのに、悪人が救われないわけがない、看守をしている人よりも牢屋に入っている人のほうが救いやすい、というのです。

なぜなら、天から見るとどちらも似たようなものだからです。

所詮、そのことが大きいか小さいか、バレたかバレなかったかの問題でしかないのです。
人を裁くということは、裁く者と裁かれる者にわかれ、裁かれる者には反省の機会が与えられますが、裁く者は一生、気づかず自分が正しいと思って人生を送ることになるのです。

まさに、自分が正しいと思った時から間違いが始まるのです。

これからの時代は、思想、宗教、国境を越えた大きなものの考え方が必要になってきます。それは宇宙をとり囲む愛の法則から学んでいくしかない、ということに尽きると思います。