1727.心が貧しい人の方が救われる

真我日記

写真はマグロの刺身です。とても新鮮で美味しかったです。

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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
罪人であることを自覚した人は、じつは天国に近いのです。自覚しない人は、天国に遠いのです。

ましてや、満月の心(真我)=本当の自分を自覚しないで「私は立派だ」と自惚れている人は、最も天国から離れています。

こういう人は、カルマを背負っていることに気づいていないからです。

イエスは、「心の貧しい人は幸いである」、「悲しんでいる人は幸いである」と言っています。

「心の貧しい人」とは、自惚れがない人のことです。「悲しんでいる人」とは、間違っていることをわかっている人のことです。悪いことをして、「悪いことをしてしまった」と反省して落ちこんでいる人のことです。

逆に、「自分は悪いことなんかしていない」と思って悪いことをしている人間は一番厄介です。いくらでも同じことを繰り返すからです。

親鸞上人も同様のことを「善人尚もて往生す、況や悪人を哉」という表現で諭しています。

ここでいう善人とはカルマの少ない人、悪人とはカルマの多い人のことを指しています。「カルマの少ない人でさえ救われるのに、ましてやカルマの多い人が救われないわけがない」という意味です。

つまり、カルマの多い人は必死に救いを求めるから、カルマの少ない「自分はそこそこ幸せだ」などと思っている人よりも、はるかに救いやすいということなのです。キリストと親鸞は非常に似ているところがあるのです。

また、釈迦はこんな例え話をしています。

ここに焼け火鉢があったとして、それが熱いことをわかっていて触った人と、わからないで触った人とではどちらが被害が大きいかと。

わからないで触った人の方が大やけどをする可能性が高いのです。

これは、「私は罪がないまともな人間だ」と思っている人の方が、救いずらいという意味です。

「私にはこんな罪があるんだ」ということをわかっている人は、それほど大やけどはしなくて済むのです。

過去の宗教戦争はみな、「自分たちこそが絶対に正しい」と思っているがゆえに起きたものです。「自分は正しい」という観念を強く持っている人の方が、大きな争いごとを起こしています。

しかし、「私は間違っているかも知れない」と謙虚に思える人は、それほど問題を起こしたりはしないのです。

自分には問題がないと思っている人は、本当の真実を知ることはできませんが、大きな問題を抱え苦しんでいる人は、真剣になって救いを求めますから、真実を知ることができるのです。

同じように、逆境に置かれている人が、順境にいる人よりも救われやすいのです。

会社の倒産や解雇という現実に直面することによって、いままで顧みなかった自分自身を見つめ直すことができ、魂の次元では大きな気づきを得ることができるのです。

逆に、私たちは順風満帆に物事が運んでいるときこそ、最も気をつけなければなりません。そういうときには、どうしても傲慢になったり、人を見下したりしてしまいがちです。
それでは、満月の心(真我)=本当の自分から見ると、むしろ後退しています。現世的な成功と、魂の成長とはまったく正反対ともいえるのです。

私の所にこられて大きな気づきを得る方は、次の二つのタイプです。

一つは、現在大きな問題を抱えている方です。そういう方は、その抱えている問題の分だけ大きく気づける可能性が高い。

もう一つは、悩みや問題を抱えていなくても、本当の自分の本質は何か、自分とは誰なのか、何のためにこの世に生きているのかということを真剣に求めている方です。そういう方も大きく気づくことができるのです。

逆に、なかなか救いづらい方は、ほどほどに幸せを感じていて、それ以上は深く求めようとしない方です。

魂の次元では、そういう方はほとんど進化しないまま人生を終えてしまうことになります。