1656.努力、知識はいらない

真我日記

写真は挽肉の野菜煮です。大根が味がしみて美味しかったです。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著者宇宙意識で因縁を切るより
私たちは、この命のことを未だに正確に答えられないでいます。

私たちの心臓がどうして動いているのかということを、仮に推論を立てられたとしても、それは勝手に考えているだけで、誰一人として正しくは答えられません。

少し前に、テレビで、ノーベル賞をとった人たちが集まっていろいろ討論をしている番組を見ました。

世界のトップクラスの人たちですから、科学的なことはもちろん素晴らしいのです。

ところが、ある方が、「魂とは何でしょうか?」と質問を投げかけたら、みなさんしどろもどろになってしまったのです。

ちょっと考えてみると、おかしいのです。

これは一番大切なことではないでしょうか。

一番大切なことをなぜ一刻も早く研究しないのでしょうか。

私たちは、まず自分自身を悟ろうとして、いろいろな勉強を猛烈にしたり、修行を一生懸命したりします。

本当に勉強や修行で悟れるのでしょうか。

勉強の悟りというのは、知識の悟りです。

修行の悟りというのは精神の悟りです。

しかし、私がいわんとしているのは、命そのものの悟りです。

命の悟りとは、時間がかかりません。

なぜならば、もうすでに悟っている自分が自分の中にいるからです。

私たちの命は、もともと天から完全に与えられています。

ですから、それを自覚すればいいだけなのです。

心臓は、勉強をして動かすわけでも、修行をして動かすわけでもないのです。

「あっ、心臓が動いている!」と自覚すればいいだけです。

一生懸命勉強して辿りつくというのは、命の悟りではありません。

知識で理解をしたに過ぎません。

私たちが理解しようがしまいが、修行しようがしまいが、もともと私たちは最初から完全なのです。

今私たちが一番気づかなければならないのは、命の悟りなのです。

私たちは命の悟りを得て始めて、それに沿った頭の使い方をすることが大事なのです。

今まで人間は間違っていたと思います。

一生懸命努力をして、やっと悟ってきたと思ったらもう人生はおしまいというのは、変だと思いませんか。

これは私の素朴な疑問です。

悟りを得ることを終点とするのではなく、出発点とするのです。

そうしたら、どれだけ人生が素晴らしいものになるでしょうか。