佐藤先生の言葉をお伝えします。著者幸せな結婚の法則より
バツイチながら再婚していまは幸せな家庭を築いている今井恭介さん。
私のセミナーにはじめて参加したのは、2004年のことでした。
その日からさかのぼること10年前、恭介さんが44歳のころに前妻と離婚。
愛する娘さん、息子さんとも別れ別れとなり、その寂しさから恭介さんは次第にお酒を飲む量が増えていったそうです。
そして、翌年には「アルコール依存症」との医師からの診断。
アルコールというガソリンが切れると手足がふるえ出すため、会社を休む日もありました。
それまでシステムエンジニアとして華々しく活躍し、会社の取締役への声もかかっていた恭介さんでしたが、お酒によって仕事を失ってしまったのです。
「アルコール依存症になると、自分では飲む、飲まないといったコントロールがまったくききません。
ただ死に向かって飲み続けるという毎日になります。
お酒がおいしいから飲むのではなく、飲酒で体がボロボロなわけですから、飲めば気分が悪くなって嘔吐する。
嘔吐しながらも再びお酒に手を伸ばすといった状態でした」
1日にウィスキーのボトル1本は軽く空けていたという恭介さん。
末期症状のときは地獄の日々だったと当時をふり返ります。
医師からは「お酒を絶たないと命の保証はない」とまで言われ、それでも命よりお酒のほうを優先してしまい、忠告に耳を傾けることはなかったそうです。
アルコール依存症になってからの約10年間で26回もの入退院をくり返し、私と出会ったころには「余命1年半」との宣告を受けていました。
真我のことを知り、「自分に残された道はこれしかない!」との思いを強くしたそうです。
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恭介さんは退院してすぐに私のセミナーを受講し、そのなかで真っ先に気づかされたのが“父親から愛されていた”という事実でした。
「父はもともと日本銀行に勤める銀行員で、エリート意識が高く権威的でした。
経済的には恵まれた家庭環境でしたが、何をするにも父親に頭を下げなければならなかった。
それが屈辱的でたまらなかったんです」
父親のことを、物心つくころから生理的に受けつけないほど嫌っていたという恭介さん。
一方でご両親は、離婚して独り身となった恭介さんの闘病生活を物心両面から支え続けてきたのです。
「父に反抗しつつも、ずっと甘えてきてしまいました。
でも父はそんな僕の弱さを受け止めて、大きな愛で包んでくれていたんですね」
真我に目覚めて父親の愛に気づいた瞬間、恭介さんは涙があふれ出たそうです。
心が愛に満たされると、お酒を飲みたいという衝動が消えていきました。
さっそく両親のもとへ駆けつけ、ずっと甘えてきたことを謝り、支えてきてくれたことへの感謝の気持ちを伝えたという恭介さん。
お酒を断って自立すると約束したのです。
その日以来、恭介さんの身の上に奇跡が次々と起こり出しました。
無職で余命宣告を受けていた身でありながら、知り合いの女性からプロポーズを受けたのです。
恭介さん自身も、相手の女性のことは出会ったころから気になる存在でした。
運命のパートナーと出会って間もなく、新婚生活がはじまりました。
暮らしが安定してくると、徐々に体調も回復して派遣の仕事へ復活。
その職場では能力が認められ、派遣社員から重要なポストへ昇格し、年収が50万円から1,000万円と20倍もアップしたのです。
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幸運が続いた恭介さんでしたが、ある日、ほんの気の緩みから再びお酒に手を出してしまいました。
何年間断酒しようとも、わずかな量のお酒を口にしただけで症状が戻ってしまうというアルコール依存症。
再発したことで夫婦関係もぎくしゃくし、いよいよ離婚かという状況に追い込まれたとき、私は彼にこう提案したのです。
「あなたのつらい経験をいかして、同じ症状を持つ人の手助けをしませんか?」
恭介さんからは「ぜひやらせてください!」との返事をもらいました。
人は、生きる使命と出会ったときにすべての悩みから解放されます。
アルコール依存症となった自分を不幸と思い続けてきた恭介さんでしたが、真我に目覚めたことで、困難な出来事はすべて自分にとってチャンスだという真逆の考えになりました。
過去を変えることはできないけれど、自分がとらえ方を変えるだけで背負った負債は大きな財産となるのです。
「自分のつらい出来事を人のために生かしていこうと決意したときから、人生の流れが再び大きく変わりました。
いまでは講演会で体験を語ったり患者さんの相談に乗るなど、アルコール依存症を克服するためのサポート活動を行っています。
そのことに生きがいを見出してからは、おかげさまで、私の人生にお酒は必要なくなりました」
幾多の困難を乗り越えて生きる使命を見出した恭介さん。
離婚の危機にあった妻との関係もすっかり修復し、現在は愛に包まれたおだやかな日々を送っています。