佐藤先生の言葉をお伝えします。著者幸せな結婚の法則より
昨日の続きとなります。
兵庫県で生まれ育った麻衣さんは、両親と兄と弟の5人家族。
両親は結婚して間もなく、ゼロの状態から米屋を立ち上げ、夫婦で昼夜なく働いてきたそうです。
麻衣さんは弟とともに祖父母の家へ預けられ、週末だけ両親と過ごすという幼少期を送りました。
そして、家を新築したことをきっかけに10歳で呼び戻され、家族5人での暮らしがスタートしました。
相変わらず仕事に忙しい両親は、「女だから」という理由であらゆる家の手伝いを彼女に強要してきたそうです。
「それまで親元と離れて暮らしてきたせいか、両親との折り合いはよくありませんでした。
とくに“女だから、家のことはやって当たり前”という親の言い分には納得がいかず、いつも不満を持っていました。
でも、反抗的な態度をとると両親ともに激しく怒り、ときには殴られます。
兄や弟は“男だから”という理由で、手伝いをしろとは一切言われませんでした。
私に比べると、しつけもかなりゆるかったんです。
なぜ、女に生まれたせいで私だけ損な立場なのか。
女なんて、差別されるだけで何もいいことはない。
そんな考えが、思春期の私の心に深く刻み込まれていきました」
兄が結婚したのは、麻衣さんが高校生のころでしたが、その10年後に離婚し、兄の妻子は家を出ていったそうです。
母親に対して父親はよく手を挙げていたという麻衣さん。
それと同じように兄もまた自分の妻に手を挙げていたという事実を知り、ますます「結婚は墓場」と考えるようになったそうです。
そんな麻衣さんは、まるで家族から逃れるように高校卒業後に上京。
中学校の修学旅行で東京を訪れたときから「将来はここで暮らそう」と思ったそうです。
両親の影響がおよばない遠い場所、というのが決め手でした。