1385.障害という財産

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
先天性障害者として生まれてきた子供がいる。

例えば、生まれつき手や足がない、あるいは脳性麻痺などの重大な障害を背負っている人が少なくない。

古来、宗教では先天性の障害を、因縁や業が深い、ということで片付けている。

障害を背負っている人に対して業が深いとか、因縁が深いという言い方をする人は、全然心のことがわかっていないと思う。

駄目な人に百回、駄目なんだと聞かせたら、いったいどうなるというのだろうか。

ますます落ち込んで駄目になってしまうかもしれないのである。

心というのは、思った分量だけ増えるのだ。だから、相手から「駄目」といわれたら、「駄目」という思いがますます増える。ということは、ますます業も増える、ということなのである。

しかし、それはあくまでも心の世界でしかない。

その奥の魂、つまり、本当の自分(=真我)に目覚めたときに、人間は完全な宇宙そのものであり、愛そのものであり、喜びそのものであることを自覚することができるのである。

それを自覚すると、因縁や業などというものは、とたんに消えてしまうのである。

たとえ生まれつき腕が曲がっていようと体がどうなっていようと、魂の奥から物事を見たら、たいした問題ではなくなってしまうのだ。そこからが出発なのである。

どんな人だって、オギャーと生まれたときに既にそれぞれの性格を持っている。赤ちゃんでも性格はあるのだから、真っ白ではないのだ。それと同じと思えばよいのだ。

腕がどうなっていようとも、目が見えなくとも同じだと思えばよいのである。そこからが出発、それを土台としてどう考えるかのほうが大切なことなのである。

まずは、「真我」つまり、本当の自分に目覚める。

そしてもう一つ重要なのが、「今が出発である、与えられている現状がスタートラインである」と考えることだ。

生まれ落ちたとき、金持ちであろうが、貧乏であろうが、障害者であろうが、「これが最高の出発なのだ」と自覚することが大切なのである。