佐藤康行の言葉をお伝えします。
私は若いときは、成功哲学を地で行くような生き方をしてきました。
大きな夢を持ち、明確な目標を設定し、それに向かって、がむしゃらに努力をしてきました。
十五歳のときに北海道から上京し、コック見習いをしながら定時制高校に通いました。
その後化粧品や宝飾品のトップセールスマンとなり、一千万円を貯めて目標どおりステーキ店を開きました。
そしてフランチャイズのステーキ店「ステーキのくいしんぼ」を全国展開させ、五十店舗以上のチェーン店のオーナーになりました。
すべて目標どおりでした。
その結果、世間からは成功者と認められるようになり、いろんなところに講演に呼ばれたり、雑誌やテレビなどで紹介されるようになりました。
ところが、一見すべてが順調に見えたそんな折りに、私は精神的にものすごく苦しくなってきたのです。
なぜかというと、いままで最も価値があると信じていたものが、何の価値もないことに気がついたからなのです。
一体自分は何のために生きてきたのか、何のためにここまでがんばってきたんだろうか、真剣に悩みました。
それまで味わったことのない苦しみでした。
そのとき、心が死ぬと肉体も死ぬということを体感しました。
私はこの苦しみのどん底のなかで、フッと自分自身の天命に気がついたのです。
人々を苦しみから脱皮させ、自分の役割や使命に目覚めてもらおう。
そのことにこれからの人生のすべてを賭けようと決意したのです。
私にとって、まさに生まれ変わりの瞬間でした。
私たちが信じて一生懸命努力してやっていることが、もしかしたら大きな錯覚の場合があるのです。
欧米から入ってきた成功哲学では、「まず最初に夢をもちましょう、それもできるだけ大きな夢をもちましょう、そして具体的な目標を段階を追って立てましょう」と教えています。
しかし、その夢や目標は単なる自分のエゴであることがあります。
そして、社長に向かない人が社長になる、という目標を立ててしまう可能性もあります。
夢や目標を持つ前に、自分が天から与えられた役割や使命を知ることの方が大切なのです。
そのことにもっとじっくりと時間をかけたほうがいいのです。
くり返しになりますが、孔子が「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」といっているように、生きる道を見つけることは、命と引き換えにできるくらい価値があることなのです。